孫と過ごしたクルージングの旅 シンガポール タイ マレーシア

孫と過ごした
クルージングの旅
シンガポール タイ マレーシア
 娘夫婦が誘ってくれたクルージングに出かけた。
 シンガポールからの3泊4日の船旅でタイ、マレーシアを回った。
 その後3日をシンガポールで楽しんだ。
 船旅もさることながらいつも遠く離れて住む二人の孫娘(もうすぐ5歳と2歳) と
 過ごした8日間は至福の時であった。

 気楽なものでシンガポール、クルージングとは聞いていたが、詳しい日程は全く知らない。4月28日昼前に自宅を出て、「快速みえ」で名古屋へ、新幹線に乗って品川で娘夫婦と二人の孫と落ち合う。成田エクスプレスで成田へ。
 シンガポール行きの飛行機は18:40飛びたった。およそ6時間半の空の旅である。ビジネスのゆったりとした座席で、2度の機内食をとり仮眠。時差1時間のシンガポールへは29日0;10着陸。
 今夜泊るコンラッド・センテニアルはデラックスなホテルだった。真夜中の1:30に着いたのにまだ活気にあふれている。ロビーは真っ赤なオブジェとスパイラルのシャンデリアがモダンな雰囲気。部屋にはウェルカムフルーツとコンラッド・ベアが待ち、バスルームにラバーのアヒルが置かれて孫たちは大喜びした。ゆっくりめに起きると、高層階(12階)の広い窓の外にすばらしい景色が広がっていた。色彩豊かな朝食を摂り、浜木綿に似た花と記念撮影。孫たちはさっそくプールで水遊び。南国に来たのだなあと感慨にふける。

スーパースター・ヴァーゴ
 敦賀から小樽への新日本海高速フェリーなど船旅にはあまりよい思い出がない。殊に夫は奥尻へ渡る時、ひどい船酔いで苦しんだ嫌な思いがあって、孫との1週間は誠に魅力的なのだが・・・そこで酔い止め薬をたくさん持って船に乗り込んだ。
 ところが、豪華客船で自由気ままに楽しむ夢のクルーズと銘うつだけあっていつ動き出したのかわからないほど少しの揺れも感じない。
 76800トン
 乗客定員 1960人
 キャビン数 980室
 乗組員   1100人
 全長 268.29m  全幅 32.2m
 この日は定員一杯(うち日本人70名)乗っていたとか。速度はかなり速いし風もあるのだが、船が大きいうえに、マラッカ海峡は波も穏やかで、まるでホテルの中で過ごしているようであった。
 出航は4月29日16:15 5月2日15:15下船までの3泊4日の船旅である。
 船内にはありとあらゆる施設・設備が整っているといった感じで全く退屈するということがない。7階カウンター前のスペースには、大きな花が飾られ、数段の階段上に、金色に輝く3頭の馬の像、白い彫像などが並ぶ。その後ろに13階まで通じるガラス張りのエレベーター、豪華この上ない。
 船内ではショーが何度も開かれており、5度ほど観に行った。子ども向けのお面作り体験教室や「龍の髭飴作り」デモンストレーションなどに参加した。孫の大好きな水遊び、船内2ケ所にあるプールには何度も通った。
 「今度行くマレーシアの首都はどこだったかな?」と私。
 すかさず娘が「クワラルンプール」
 孫が「おばあちゃん、コアラのプールと覚えるといいよ!」に大笑い。
 「きれいなお花だね」と私。
 2歳の孫が自分の鼻を指差す。
 「あっ、その鼻とは・・・」と言いかけると、娘の解説。「この子は花と鼻の区別は知ってるの。でも鼻を指差すと大人が喜ぶので受けをねらってわざとしてるの。」 えっ、「なんとまあ賢い!」(ばばばか) とにかく何を言っても孫との会話はこのうえなく楽しい。
 レストランもたくさんあって、中華料理、洋食、インド料理、日本食、バイキング形式のものなど楽しむ。窓から夕陽を眺めながらゆったりと食事をする。その他、アイスクリームを食べにいったり、早朝ティータイムをデッキで楽しんだり・・・
 船室から7時過ぎの日の出を見ようと待つのだがあいにく雲がおおく・・・画像は5月1日のものである。
 二人の孫と過ごす日々はなんとも幸せで飽きることがない。ことにベットの上で繰り展げられる歌あり踊りありの孫たちのショーは圧巻であった。
      
タイ・プーケット島にて
 4月30日午後4時、タイ南部のプーケット島・テンダーボートに着いた。ここに上陸し、5月1日午前2時の出航までのおよそ10時間、さまざまなオプションツアーが準備されていて、思い思いに過ごすことができる。
 プーケット島は、アンダマン海に浮かぶ熱帯の島であり、その美しさから「アンダマン海の真珠」と讃えられているそうだ。その美しい海のクルージングとカヌー体験というツアーも魅力的であったが、カナディアンカヌーではなくカヤックであったため、他のツアーを選択した。また小さい孫たちは、決められたコースでなく、無理なく自由に過ごさせたいとのことで、せっかくだからと娘たちに勧められて私たち二人だけで参加することにした。
 バスでまず訪れたのは、ワット・シャロン、プーケット島に全部で29ある寺院の中で最も大きいとのこと。本堂内部には、1876年に起こった中国移民の反乱を鎮圧した二人の高僧、ルアン・ポー・チャームとルアン・ポー・チュアンの像が祀られているそうだが、突然の激しい雨(スコールというべきか)のため参拝できなかった。真珠のように美しいといわれる島だが、まだまだ発展途上国、窓外に見える民家は貧しいように見えた。しかし、ハイビスカスや黄色をはじめとする名も知らぬ木の花々が咲き乱れとても美しかった。できれば花を訪ねる旅をしたいものだと思った。
 次にショッピングセンターのカナル・ビレッジ・ラグーナ(?)に行った。真珠や貴金属、ブティック、アジア雑貨、土産物店が並んでいる。値札もついていないし、高いのか安いのかも分らず・・・見るだけ。
 そして、本日のメインイベントのプーケット・ファンタシーへ。カマラビーチに位置し、アジア最大の夜型テーマパーク。まずは4000席のビュッフェ・レストランで、タイ料理を堪能。食事後は、15軒ほどのオリジナルグッズを扱ったショップを覗いたり、象に乗って回る観光客を眺めたり、民族衣装のタイの女性と、イベント広場や、象と並んで、あるいは象の宮殿前で記念撮影。
 やがて、10時になると、3000席の巨大シアターでファンタシーショーが始まった。レーザー光線が飛び交う華やかなショーの中心は10頭ほどの象、そして空中ブランコ。圧倒されて見とれるうち、11時半にショーは終わった。バスで船に戻ったのは午前1時前であった。
 船室に入って感動したのは、孫からの手紙であった。まだ5歳にもならないというのに、ひらがなもカタカナもすべて読める。絵本もすらすらと読んでくれていた。その孫からの「おかえりなさい」の手紙。ところどころ鏡字はあるものの、長音も拗音も促音もきちんと表記されている。文章になっている。なんとも愛しい。涙が出るほど嬉しい。
マレーシア・ランカウイ島にて
 タイ国境に近いアンダマン海に浮かぶランカウイ島。その魅力は手つかずの豊かな自然と素朴さ。標高881mのラマ山を中心とした内陸部には、熱帯雨林のジャングル、ゴムのプランテーション、マングローブの茂る湿地帯が広がり、平野部ではのどかな風景も残っている。また数々の伝説や神話が残る「伝説の島」としても知られている。
 5月1日午前10時、ランカウイ島に入港した。これから5時までの7時間の自由行動。今日も夫と私は島内のバス観光のコースを選んだ。
 バスの外にはのどかな牧草地と点在する牛の姿が見える。家は高床式のものが多い。
 まず訪れたのが、アンダーウォーター・ワールド。マレーシアで最大の規模を誇る水族館。5000匹以上の海水魚、淡水魚、海洋生物がいる。ここで美しい民族衣装サリーを纏った女性がいたので、写真を撮らせてほしいと頼むと、家族で快く応じてくれた。
 次が、マスリ王女の墓。と言っても墓はどこにあるのか分らなかった。その奥に高床式マレー家屋があり、昔ながらの暮らしが再現されている、いわば民俗村のようなところを観に行ったのだ。伝統音楽の演奏も行われていた。
 「ランカウイ」とは「赤茶色のワシ」という意味をもつといわれ、このワシの像があるイーグル・スクエアはランドマーク的存在。イーグルの側まで行ったが、実に立派な像であった。
 食事とショッピングは、ランカウンタウン、おそらくクアの町だったのだろう。バスを降りるたび、バスの運転手さんに次の発車時刻を書いてもらっていた私たちを見ていたガイドの方が「あそこの店がいいよ」と教えてくださった。「美邑海鮮飯店」 道路に面した屋外のテーブルでシーフードの珍しい料理を味わった。この土地ならではのものであったのだろう。シンガポールドルで支払うと、マレーシアドルのお釣りがきた。それによるとどうやらマレーシアドルはシンガポールドルのおよそ半分の値打ちらしい。そういえば、タイのレストランでは当然のことながらタイドルのお釣りであった。ショッピングは・・・しなかった。
 最後に訪れたギャラリー・ペルダナが最も興味深かった。マハティール首相ゆかりの品々を展示する博物館。2000点に及ぶコレクションのほとんどは世界各国から首相に贈られたもの。陶器、ガラス細工、宝飾品、などから高級自動車まで。どれも非常に豪華である。日本から贈られた日本人形、五月人形、浮世絵などもあった。マレーシアの繁栄を築いた首相の功績を知ることができる。入ったとき「ここはメモリアルミュージアムか」と問うたら「首相が自分へのプレゼントを国民と共有したいといって公開しているもので、その首相は未だ存命だ。だからメモリアルではない」と説明してくださった。その方が「この建物は2003年にできたが、ここが一番お金がかかった」と指差された天井は実に美しくすばらしいものであった。
 港近くで休憩し、ドリンクとお菓子のサービスがあった。ギター奏者がビートルズの曲を歌っていた。夫は持ち合わせた口琴で合わせ、交流して楽しそうであった。
 港で、ガイドさん、運転手さんに心からお礼を言い、別れた。
シンガポールにて
 マレー半島の南部、赤道まであと136kmというところに位置する。気候は高温多湿の熱帯モンスーン気候に属し、年間を通しての温度差はほとんどなく1年中が常夏の国。また様々な民族からなり、まったく違う文化、習慣が混在した多民族国家を形成している。シンガポールを形容するのにガーデンシティという呼び名がある。その名の通り緑と建物の調和のとれた清潔感漂う美しい街が広がっていた。
 5月2日午後3時に下船し、ホテルに向った。これから3連泊するのは、ヒルトン・シンガポールホテル。着くと早速孫は24階屋上にあるプールへ。ここからはシンガポールの大パノラマが楽しめた。
 夕食は、地下鉄でボート・キーへ出かけた。ここは、シンガポール川沿いに各国料理店が並ぶところだ。高層ビルや川面に写るネオンが輝き、舟の明かりもほのかに灯り、夜景がすばらしく美しかった。
 ホテルに戻ると、豪華なウエルカム・フルーツと箱入りのチョコレートが各部屋に届いていた。船もそうであったが、2部屋続きの中扉が開けられて、孫たちが自由に行き来できて楽しい。
 5月3日早朝、孫たちのパパが仕事の関係で日本に帰った。これからは5人。少し寂しい。
 11時頃、シンガポール・ズーへ行った。広大な自然保護区内にある湖と熱帯雨林に囲まれた動物園で、人と動物との人工的な境界線を取り去り、野生に近い状態で動物たちを放し飼いにしている。動物と樹木の数が同比率だそうで、まるで森の中を散策しているような気分になった。広大な園内を1周するトラムカーが頻繁に運行していて、各所で行われる様々なイベントを見るのに便利だった。ただ雨季ではないそうだが、突然激しい雨が降り、動物園も傘をさして。一部イベントが中止になったり・・・画像は、雨を避けるためかオランウータンも頭をかかえている。ここでは一緒に記念撮影の予定だったが。
 4時に一旦ホテルに戻り、5時過ぎ再び出かけた。今度はセントーサ島へ。シンガポール本島から800mにあり、セントーサとはマレー語で「平和と静けさ」の意味をもつ。かつては豊かな自然に囲まれた穏やかな場所だったそうだが、現在は、博物館やテーマパーク、リゾートホテルと様々なレジャー施設があり、多様なアトラクションが楽しめるレジャー・アイランドになっている。 島へは、ケーブルカーに乗った。地上60mの高さから市街地、港、深い緑の樹林帯が見えた。島の中央に、高さ37mという巨大なマーライオンが聳えていた。
 最初に行ったのは、シンガポール最大の熱帯海洋水族館アンダーウォーター・ワールド。巨大な水槽の中を通る全長80mの動く歩道のアクリルトンネルの中からは、350種5000匹の魚などが見られるという。遅い時間帯であったので、比較的人も少なくゆっくりと見られた。ビーチ・トレインで次の会場へ。
 ミュージカル・ファウンテンを観に行った。ファンテン・ガーデンの噴水ステージで行われるレーザー光線と音楽を使った噴水ショーである。色とりどりのレーザー光線が吹き上がる水のカーテンに絵や文字を描くさまは幻想的で、ショーの大好きな孫は大喜びであった。
 再びケーブルカーで渡り、ホテルに戻ったのは 10時半になっていた。
 5月4日午前中は、リトル・インディアで寺院めぐりをした。
 千燈寺院 正式にはシャカ・ムニ・ブッダ・ガヤという仏教寺院。高さ15mの巨大な仏像が鎮座している。金箔を施された肌に、赤く塗られた唇など像全体が色鮮やかに着色されていた。でもやっぱり日本の仏像のほうがありがたいなあ。仏像周辺に1080個の法燈を巡らせており、千燈寺院という名前がつけられたそうだ。タイ仏教とシンガポールの中国仏教が調和した寺院である。
 龍山寺 道教寺院で、屋根に施された龍の彫刻が特徴。天井の梁には、美しい不死鳥や花の彫刻が彫り込まれ、ロウソクの灯りに照らされた祭壇には全身を金箔に覆われた観音像が祀られていた。
 スリ・スリニヴァサ・ペルマル寺院 ヒンドゥー寺院で、高さ18m、9層からなるゴープラムには、クリシュナなどビシュヌ神の9つの化身や聖牛ナンディ、蛇神ナーガの上に座するシヴァ神といった神像が彫り込まれていた。祭壇へと続く回廊の天井画やビシュヌ神を描いた祭壇画もすばらしい。祭壇の前では色鮮やかなサリーを纏った人などの静かな祈りが続いていた。 
 ついで孫が楽しみにしていた気球(ヘディウムバルーン)で150mの上空へ。360度シンガポールのパノラマビューを堪能した。天気もよく水平線一杯に広がった景色は誠に美しかった。孫は気球に乗れたことが一番嬉しかったそうである。
 午後は分かれて私たち二人は、シンガポール歴史博物館へいった。1887年に建てられたビクトリア様式の博物館で、案内板にはシンガポール国立博物館と書かれていた。続いて、シンガポール美術館へ。シンガポールと東南アジアの絵画、書画、彫刻などの現代アートが常設展示されていた。帰りに伊勢丹に寄ってみたがお目当てのものは見つからなかった。
 6時半からまた5人でお土産を買いに外に出た。
 5月5日早朝にホテルをチェックアウトし空港に向った。飛行機は日の出とともに7:15離陸した。帰りもビジネスのゆったりシートで、朝食とお昼の軽食、デザートなど食しつつ、日本時刻2:55成田へ着いた。その後スムーズに成田エクスプレス・・・品川駅にはパパが出迎えてくれ、孫たちは大喜びした。私たちは、新幹線、「ワイド ビュー 南紀」を乗り継ぎ帰宅した。
 長旅で、まだ小さい孫たちはたいへんだっただろう。ましてやその世話をする娘夫婦は並大抵ではなかったはず。それでも孫たちと過ごした8日間、たいへん楽しくよい思い出になりました。感謝しています。

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