2007年 北の大地にて

2007〜2008
北の大地にて
北の大地での日々を綴りたい。
・3月12日から19日まで屈斜路湖畔でのんびりと過ごし、歩くスキーを楽しんだ。
・11月8日から13日まで屈斜路コタンでのイチャルパに参加させていただくために道東へ。
・2月28日から3月4日まで屈斜路を拠点にビデオ映像を残すため道東各地へ。
・7月3日から8日まで、「2008 先住民族サミット IN アイヌモシリ」へ参加したくて札幌へ、その後道東を周った。


3月12日
 春の強風が吹くなか北海道へ渡った。釧路空港は曇り空ながら穏やかで雪も少なかった。ああとうとう今年もまた北の大地の土を踏むことができたという感慨にひたった。白糠に立ち寄り、釧路から標茶を通るコースで、屈斜路に向った。ところが弟子屈に入ったとたん、道の両側にうず高く雪があり驚いた。早春の北海道はこうでなくっちゃ!
3月13日
 朝から雪。生活館で友人と久しぶりに話し込み、その後、知人を訪ねるなどあちこち走った。屈斜路コタン、砂湯、川湯、硫黄山、美留和、仁多、桜ヶ丘・・・どこに行っても懐かしい。暖冬の今年は屈斜路湖が凍結しなかったという。氷が張っても強風で岸辺に吹き寄せられることの繰り返しで、こんなことは始めてだそうだ。それでも釧路川河口には厚い氷がきらきら光っていた。
 夜は友人と鍋をつつき、話題は尽きない。
3月14日
 今日も雪が降り続く。午前中を生活館で過ごし、午後ようやく明るくなってきたので摩周湖へ。歩くスキーで摩周岳への登山道を進む。時々強い風で、ブリザード状態になり、摩周湖に吹き飛ばされないように両足で踏ん張り(少しオーバー?)つつ進む。しかし久しぶりの雪山の感触がなんとも嬉しい。白樺やダケカンバの林を行く。画像の摩周湖の向こうに見えるのが摩周岳。がここに到達するまでにたいへんなことがあった。なんと新雪の吹き溜まりに両足スキーごと埋まりもがけばもがくほど深みに・・・「夫、妻を見捨て妻凍死」と笑いながら、夫に掘り出してもらった。空にオオワシが一羽舞っていた。
 夜はまた、アイヌの詩人と食事をともにした。屈斜路ではこのひとときがとても楽しい。
3月15日
 コテージのまわりの雪が朝日に輝いてすばらしく美しい。ここにコテージを借りはじめてはや8年になるが、その頃は夏でも冬でもエゾリスが走り回り、餌を置けばすぐにアカゲラをはじめたくさんの小鳥が集まってきて、それがまた楽しみでもあった。ところが年々まわりにコテージが増えはじめ小鳥を見かけるのが少なくなり寂しくはある。少し遠いが風蓮湖まで出かけることにして早朝に出発する。別海の加賀文書館に寄って、風蓮湖へ。1999年の今頃、ここ風蓮湖砂州はエゾシカで埋め尽くされていて、壮観であった。しかし被害の大きさに頭数を決めての駆除が始まってその数が年々減り、あの光景はもう見ることができない。今はブッシュの中に数十頭の群れが見られるだけである。砂州も昨年の暴風でかなりの被害を受けており、先の方は道路が砂を被り通行止めになっていた。走古丹の方へも回ってみた。数羽のオジロワシが空を舞っていた。走っていると、青い海の向こうすぐ近くに真っ白に雪を被った国後島が浮かんでいた。野付へ向う途中、茨散沼に入ってみた。一面の氷の向こうに武佐岳が美しかった。テントが見えたので近づくと、ワカサギ釣りであった。比較的浅い沼で、氷の厚さは70cmとのこと。ここに穴を開けて釣る。思いがけず竿を貸してくださり、いっしょに釣りを楽しませていただいた。昼食はお決まりの白帆さんで地元の美味を堪能。近くの野付港では、大きいホタテがものすごい量トラックに積み込まれている最中であった。若者に一つ試食させてもらったが、新鮮なホタテは程よい塩味がしてたいへんおいしかった。続いて大好きな野付半島へ。ここもたいへんな被害だったようで、美しい半島が見る影もなく荒れ果て、あちこちで防波堤の修復工事が行われていた。道も竜神崎灯台までは入れなかった。トドワラも工事中で、工事車の道をスキーでトドワラまで入った。湾の中の氷の上に数十羽のオオワシ、オジロワシが停まっていた。でも1999年のあの忘れ難いすばらしい銀世界はそこにはなかった。美しい原生花園が回復するように祈った。
3月16日
 今日も快晴。美幌へ行った。美幌峠では何台もの除雪車が作業中。峠を下っていくと、白樺の木に霧氷の花がきれいだった。その向こうでは田畑に融雪剤を撒く車が、早くも春の準備をしていた。帰り道の美幌峠からは、斜里岳の美しい姿、屈斜路湖とそのまわりが一望のもとに見渡せ感動的であった。
 午後は、待望のコタン山の麓に広がる牧草地で歩くスキーを心ゆくまで楽しむ。青い空のもとどこまでも広がる深い雪原、まるまる太ったキタキツネと戯れつつ、楽々と思いがけぬ高いところまで上り、展望を楽しむ。白一面のこの別世界では傾斜が分らずかなりのスピードで滑り降りる。ここは私たちにとって最高のゲレンデ。下りてきてコタンの露天風呂を見にいくと、たくさんの白鳥と、そばの木にはシジュウカラ、ゴジュウカラ、ウソがとまっていた。帰りに高台に上っていくと、藻琴山の山並みが白くきれいに見えた。
 夜は、親友一家とパーティ。お兄さんは農協にお勤めで、このあたりの農業についてのお話をいろいろ教えてもらい、夜遅くまで盛り上がった。
3月17日
 朝からいい天気。用もあって阿寒へ遊びに行く。阿寒への横断道路はエゾマツ、トドマツの原生林がすばらしい。雄阿寒岳の勇姿もくっきりと見られた。着いたころ、白糠から屈斜路へ来客のTELあり。用を済ませ急いで引き返す。コテージで来客と歓談の後、生活館へ。
3月18日
 雪がちらついている。朝から生活館へ行き、2時間ほど話した後、弟子屈までスキー等の荷物を送りに行く。午後もまた生活館で過ごす。実は私の親友に、松坂木綿を用い、夫のアイヌ民族衣装の着物と陣羽織を作ってもらっているのである。出来上がるのを楽しみにしている。
3月19日
 いつもは阿寒まわりで釧路空港に行くのだが、着いた日の標茶は夜間であったので、帰りも標茶を通ることにした。塘路で工房サルンバに寄り、すばらしいマキリを購入、トンコリの製作を依頼する。北の大地への別れを惜しむ私の心を見透かしたように、丹頂が空に舞って見送ってくれた。きっとまた来るよ! さようなら! 
心のふるさと屈斜路へ
 夫の仕事の関係で北海道を訪れることもままならない。だがイチャルパ(先祖供養祭)だけはどうしても参加したい。ということで、休暇を利用して短期間ながら今回の屈斜路への旅が実現した。
 明治以来途絶えていた屈斜路コタンのイチャルパが復活したのが14年前だそうだ。第1回のイチャルパから祭主を勤めていただいていたエカシ(長老)が配偶者をなくされたため参加できなくなり、祭主がかわった。これを機会に、イチャルパを改めて見つめなおしてみようということになったらしい。
 イチャルパとは、長年にわたり歴史を培ってきたこの地の先祖に感謝を捧げる非常に大切な儀式である。他所の地の者である私たち夫婦は・・・しかしこの地の先祖に深く心を寄せているということで、特別に参加させていただけることになった。カムイノミ(神々への祈り)の意味を問い直し、それを最重視した厳かなイチャルパが行われた。
11月8日
 いつも利用する釧路空港ではなく今回は都合で女満別空港へ。網走へ周り用事を済ませて小清水峠を通るコースを行くことにした。カラマツの黄葉がすばらしく北海道へ来たという感慨にふける。東藻琴の芝桜公園の横を通り、小清水峠を登りきると雪が降ってきた。まだ4時だというのにもう薄暗い。下にぼんやりと懐かしい屈斜路湖が見えた。いつものレンタルコテージに着くと、コタンの親友が夫のために作ってプレゼントしてくれたアイヌ民族衣装の着物と夫の家紋が背中に大きく刺繍された陣羽織が届いていて大感激!! 夜、別の友人がテクンペ(手甲)などのプレゼントを持って遊びに来てくれた。
11月9日
 昨夜は雨であったが、今朝は晴れている。会いたい知人があり、阿寒湖へ。その後弟子屈に戻り、これまた3月に来たときに茨散沼でワカサギ釣りをさせてくださった方ともう一度会いたくて中標津へ。帰りに仁多の知人宅を訪問と一日中走りまわって210km。
11月10日
 快晴。早朝から周辺をドライブ。その後、友人夫妻の案内で山へ。料理に使ったり、薬にもなるシコロ(キハダ)の実は今年豊作で、何度か霜にあたり甘く熟していた。かなり高いところにあるのだが、友人はするすると身軽に木に登りたくさんの実を落としてくれた。山ブドウをつまんだり、アイヌの人がお守りにするイケマの根を掘りに行ったり。湯沼にも連れて行ってもらった。しばしばヒグマが現れるという山の中の湯沼は黄葉をその澄んだ水に映して静まりかえっていた。近くに鹿や熊の大きなヌタ場があった。
 午後は、上新粉と白玉粉で作るシト(団子)作りを手伝った。お供え用の丸いシトと、直径7〜8cmのドーナツ状のシト・・・これはヨモギの串に通して炉端に掲げるもの。隣の部屋のストーブのまわりには、1週間ほど前に伐ったヤナギが、イナウ(木幣)を作るために乾かしてあり、皮をはがして白い美しい木肌で並べられていた。
 夜は、民族衣装をプレゼントしてくれた友人一家と鍋を囲んだ。
11月11日
 明日のイチャルパの準備として女性は料理作りを。まずは1週間ほど前からねかせてもらってあったどぶろくをサケヌムパ(酒漉し)の歌と踊りに合わせて漉す。次に準備に携わったすべての人に振舞うごはんを炊き、サケと野菜のたっぷり入った汁ものなどを作った。午後は、神への供物とふるまいの料理作り。ラタシケプ(チポロラタシケプとシケレペラタシケプ)、サケの焼き物など。あわせて民族衣装の準備。チセでは、この地に縁の深い男の人の手でイナウ作りが行われた。夫はタクサ作りや祭具の準備をお手伝いしたとか。
 今回のイチャルパの一切を映像、画像、文章で記録している女性のブログをお借りすると・・・
 イナウとは儀式に欠かせない祭具で、様々な意味がある。酒とともに神が最も喜ぶ贈り物であるとか、神が現世に現れる際の依代であるとか、イナウそのものが神であるなど。中でも重要な役割としては、人間と神々との仲介役ということである。
 今回のイチャルパでイナウを捧げるのは
・トーコロカムイ 湖の神 屈斜路湖
・カムイトー 神の湖 摩周湖
・アトゥサヌプリ 裸の山 硫黄山
・モコトヌプリ 藻琴山
・コタンヌプリ コタン山
・チセヌプリ 家のような山 三角山
・エントコマップ エントコマップ川
・カントコロカムイ 天上の神
・シリコロカムイ 大地の神
・和琴半島
・コタンコロカムイ 村の神 シマフクロウ(雄)
・コタンコロカムイ 村の神 シマフクロウ(雌)
タクサイナウ(笹の葉で作る清めのイナウ)は、ヌサ(祭壇)に2本、エペレセッ(子グマの家(檻)に2本。
 夜は、友人の一人と阿寒湖へ行った。アイヌ民族舞踊・古式の舞と阿寒湖ルネサンス&モシリ主催の「イオマンテの火まつり」を見るためである。阿寒湖コタンでは新設された大きなカムイニ(神の木)が出迎えてくれた。火まつりは、野外ステージでのライブがことにすばらしいそうだが、この夜はあいにくの小雨。それでも久しぶりに見るモシリの屋内ライブも迫力があって感動した。しかし真夜中に帰る山の中の横断道路は濃霧で恐ろしかった。
11月12日
 いよいよイチャルパ当日。この朝、夫と心からの友情を誓い合っている友から嬉しいプレゼントをいただいた。今日のイチャルパ用にとイクパスイ(捧酒箸)をである。イクパスイとは人間の言葉の足りない部分を補って神に伝えてくれるというイナウ同様に儀礼には欠かせない道具である。夫はいたく感動することしきり。
 チセの囲炉裏では炭火があかあかと燃え、祭壇の準備も整った。たくさんのイナウとともに、カムイチュプ(神の魚 鮭)、シト、シラリ(酒糟)、米、塩、アマム(稲黍、小豆、プクサ、ハマナスの実の入ったご飯)、餅、シケレペラタシケプ、チポロラタシケプ、野菜、リンゴ・バナナ・みかんなどの果物、菓子などたくさんの供物が並ぶ。民族衣装で正装した人々が席に着くと厳かな空気が漂い身の引き締まる思いがした。(以下儀式の様子は先の記録者のブログを転記させていただく。)
 シソ(左座)に祭主、副祭主ほか主催者が、炉を挟んで向かい合うハリキソ(右座)に来賓が着座。カムイノミが始まる。
 炉縁の四隅に塩が盛られ、アペフチカムイ(火の媼神)に干したプクサ(ギョウジャニンニク)、塩、刻みたばこ、シラリが捧げられる。
 続いて酒の吟味へ。フチが一週間ほど前から仕込んでおいたトノト(酒)のできばえを確かめるものだ。シ アンノ ピリカ トノト(本当に良い酒)という声が挙がり、出席した男性とその配偶者である女性が酒盃を受ける。
 チセの中にあるイコロ(宝物)やロルンプヤラ(上座の窓)・カムイプヤラ(神窓)、スワッ(炉かぎ)、チセアパ(家の入口)などに掲げてある昨年のイナウを新しいイナウと取り換え、改めてアペプチカムイに感謝を捧げる。
 チセで一連の儀式を終えると、カムイプヤラからお供え物やイナウを外のヌサ(祭壇)へと運び出し、役目を終えたイナウは新しいものと取り換えられる。削りかけに酒をひたし、イトクパ(家に代々伝わる刻印)に付け添えることでイナウに魂が込められるこれらが男性の手によって進められ、準備が整うと女性たちが着座。アペフチカムイを通じてワッカウシカムイ(水の神)に祈りを捧げ、いよいよイチャルパが始まる。
 イチャルパとは撒くという意味で、お供えした食べ物をまず作った女性が食べ、おいしいことを確かめたうえで遠い祖先も近い祖先も一緒に食べてくださいという願いを込めて行うもの。
 続いて、ウタレホプンパレリムセレーヤンというリムセ(輪踊り)やクーリムセ(弓の舞)を披露した。これは「私たちはこんなに楽しく暮らしていますからご安心ください。」との意味が込められている。
 再びチセに戻り、全員で火の媼神に無事に終えることができた報告と感謝のオンカミ(祈り)を捧げて、イチャルパは終了した。
11月13日
 午後の飛行機で帰る日となった。午前中懐かしい周辺を廻った。摩周湖では松浦武四郎の碑が笹薮の中に倒れたまま放置されていて残念に思った。硫黄山、川湯、砂湯を駆け足で周り、美幌峠を越えて女満別空港へ。もう少しゆっくりしたい思いが強く残った。
 
またまた屈斜路へ
2月28日
 降り立った女満別空港は雪が舞っていた。
 「森の人 デルス・ウザラーの世界」展を観に北方民族博物館へ行った。ここは何度も訪れたところ。北海道には立派な博物館がたくさんあるが、ここもすばらしい博物館である。北方民族の世界を堪能した。
 美幌峠を越えるころは夜になっていた。ライトに照らし出される路面がダイヤモンドダストのようにキラキラと輝きそれは美しかった。ここは北の大地!
2月29日
 午前3時に目を覚ますと、コテージの外は深々と雪が降りすばらしいメルヘンの世界。しばし見とれた。
 早朝、一面の銀世界。雪の上にスキーの痕を残しつつ屈斜路湖まで行った。前日、私たちが敬愛する夏見円さんがノルディックスキーのワールドカップ(W杯)距離で日本の距離選手で史上初の3位、円さんにとっても久しぶりの表彰台を喜んだが、スキーを履くと円さん気分(!) えっ? まあいいか。それほど今年初のスキーが嬉しかったのです・・・
 弟子屈の町で用を済ませ阿寒へ。武四郎の碑を撮影しつつ阿寒コタンへ。コタンの広場は大きく模様替えされ立派になっていたのに驚いた。何人かの知人と歓談できたのも楽しかった。
 戻って仁多の知人宅を訪れこれまた上がり込んで話の華をさかせる。
3月1日
 親友のTちゃんを誘い、オホーツク海の流氷を見に行った。
 美幌の峠の湯の前にある武四郎碑を撮影。
 網走で砕氷船オーロラ号に乗った。この前は流氷を求めてかなり沖まで出たのだが、今日は湾内一面の流氷、船は湾内をあちこち廻っていた。砕ける氷の迫力と空を舞うオジロワシを眺めたりして楽しんだ。
 涛沸湖には白鳥をはじめたくさんの水鳥が群れており、パンくずの餌を与えてしばらく遊んだ。
 流氷に一番近い駅といわれる北浜駅にも立ち寄った。駅舎には一面に名刺などが貼ってあり、私も一枚。
 アイヌ語で「丘のつきるところ」という意味のフレトイを見て、帰りは野上峠を越えて戻った。
3月2日
 早朝からエゾシカの大群を見たいと風蓮湖の走古丹へ行った。季節が少し違ったのか、害獣駆除のせいか期待したエゾシカはわずか数頭いたのみであった。走古丹の港は対岸の槍昔までびっしりの氷で埋め尽くされ、残念ながら氷の上を渡るエゾシカも見られなかった。スノーモービルに曳かれた氷下漁の舟が走っていたり、オジロワシにはたくさん出会えた。もう一方の砂州の先端まで行ったがどこへ行ったのかエゾシカには会えなかった。
 伊能忠敬の碑や一本松を見て、茨散沼へワカサギ釣りを見に行こうとしたが雪が深くて入れなかった。そこで例によって尾岱沼の白帆さんで新鮮なネタのおいしい握り寿司を堪能。
 野付半島では車の入れるところまで走った。ここでは珍しいほど大量の流氷が接岸しており、その向こうにくっきりと国後島が浮かんでいた。
 中標津郷土館へ寄り帰路に。西別岳を左に見て走る。時間も早かったので摩周湖へ登る。西日に輝く摩周湖はことのほか美しかった。
3月3日
 早朝に出発。川湯へと続くクッシー道路は樹氷(霧氷)がすばらしく美しい。屈斜路コタンで、コタン温泉、湯煙の中の白鳥、武四郎碑、ヌサを周り撮影。深い雪の中に静かに佇むそれら一つひとつが荘厳に感じられた。
 硫黄山の煙もまっすぐに高く立ち上りくっきりと映えていた。
 今日は小清水峠を越えていくことにした。私はここから見る屈斜路湖が一番好きだ。今朝も感動的な風景を展げてくれていた。
 斜里町役場に寄り、目的地の知床へ。
 ウトロでは、道の駅、駐車場にある武四郎碑、「知床グランドホテル北こぶし」にある武四郎コーナー、知床自然センターを訪れた。
 仕上げはスキーでフレペの滝まで行くことにした。スキーは自然センターでレンタルするつもりで積んでこなかったのだが、スキーレンタルは2年前に中止したとのこと。やむなくスノーシューを借りる。フレペの滝のそばの丘にエゾシカの大群を見つけた。しかも立派なツノを持った雄鹿がたくさんいたのに驚き、何枚も何枚も写真に収めた。滝に到る林の中の散策も楽しかった。
 帰りはオシンコシンの滝へ寄り、野上峠経由で戻った。
3月4日
 最後の日である。深い雪をラッセルして池の湯にある武四郎碑を見に行った。
 さらに足を延ばして砂湯へ白鳥を見に行った。観光客もかなりあり、餌をやるせいか屈斜路湖のなかでも白鳥はここによく集まる。湖に優雅に浮かんでいたり、飛んできたり白鳥の様々な姿を楽しんだ。
 美幌峠越えで女満別へ。空港へ早く着きすぎたので、網走湖へわかさぎ釣りを見に行ったりした。
 今回は釧路空港ではなかったので、釧路の町や丹頂鶴が見られず心残りがある。それでも目一杯北の大地を満喫した6日間であった。 
 
 
2008 先住民族サミット in アイヌモシリ
7月3日
 千歳空港から札幌まではじめてバスを利用した。バスの旅も快適だと喜んでいたのだが市内に入ると渋滞に継ぐ渋滞で、思わぬ長時間を要した。この日の会場 アイヌ文化交流センター(札幌ピリカコタン)は小金湯にあり市内とはいえかなりの時間がかかるので、とても間に合わない。カムイノミだけはどうしても参加したかったのだが残念ながら諦めた。夜は予定通り札幌ドームへ日本ハム観戦に。ダルビッシュ投手 かっこよかったなあ!
7月4日
 午前中、旧北海道庁(赤レンガ庁舎)へ。いつもは外から眺めるだけだがこの日は公開されている庁舎内の展示を克明に見て周った。中でも松浦武四郎作成の大きな北海道地図(東西蝦夷山川地理取調図)、岩崎英遠の描いた阿寒湖畔を背景に松浦武四郎がどっかりと座る絵は圧巻であった。この日は丁度「花フェスタ in 赤レンガ」のオープニングセレモニーがあり、高橋はるみ北海道知事等のテープカット、続いて木陰で行われたミニコンサートを楽しんだ。その後、近くの植物園の中にある北方民族資料館へ。
 午後はいよいよ先住民族サミット。アイヌ民族をはじめオーストラリアのアボリジニ、ニュージーランドのマオリなど海外11か国から17民族計22人が参加されているということだ。会場の札幌コンベンションセンターへ行った。全体会があり、「国連先住民族問題に関する常設フォーラム」議長のビクトリア・タウリ・コープスさんの「先住民族の権利に関する国際連合宣言を実現するための課題」と題する基調講演があり、続いてG8への各民族からの提言等があり熱気につつまれた。私たちも同時通訳のイヤホーンを耳にして聞き入った。夜は、「先住民族ミュージックフェスティバル」。さまざまな民族の熱い想いが歌に踊りに・・・会場全体がいっしょに歌い、且つ踊った。
7月5日
 今回は昨日合流した知人ご夫妻との4人旅である。まずは「道の駅・マウイの丘」で武四郎碑を見る。ここから夫は「北海道でのドライブを体験、楽しんでください」などと言って知人にレンタカーの運転を代わってもらう。ちなみにこの旅行の遠距離部分のほとんどを知人にやってもらうことになってしまった。樹海ロード、日高、日勝峠を越えて帯広へ。最初に訪れたのは「紫竹ガーデン」 平成元年、帯広郊外の18000坪の牧草地を購入し、フラワーガーデンに。現在は22のゾーンを持つガーデンが公開されている。オーナーの紫竹昭葉さんは、素敵な「花咲かおばあさん」で、一緒に記念写真を。広い園内を咲き乱れる花々を愛で、ハスカップの実をつまみながらゆっくりと散策。
 次に、中札内の美術村へ。北海道らしい木漏れ日の射す静かな林の中にひっそりと佇む「北の大地美術館」は、美術に造詣の深い知人の奥様にはことの外気に入っていただけたようだ。幸福駅、愛国駅、六花亭とまわり、今夜の宿「北海道ホテル」へ。ここではモール温泉を楽しんだ。
7月6日
 音更に回り、鈴蘭公園にある武四郎記念碑を見に行った。前に来たときは、深い雪を掻き分けてやっと碑にたどりついたのだが、それは感動的な出会いであった。今回は趣を異にし、若葉の中に堂々と立っていた。碑のまわりをエゾリスが走り回っていた。美しい公園であった。白糠は濃い霧、「道の駅 恋問」で休憩。海と海岸草地に咲く花に慰められる。釧路では、鮭番屋で、珍しい北海道の魚を炭火で網焼きにして。和商市場へも行ったのだが今日は休みで残念。最後に幣舞公園に武四郎像を見に上って行った。その後、ほんとうは釧路湿原を走りながら、細岡展望台、サルボ展望台へ上ったり、塘路湖へ立ち寄ったりしたかったのだが、霧がかかっていたり、急いでいたためいずこも素通りする。
 仁多の知人宅に挨拶に寄ってから、摩周湖へ。湖面は見えたものの霧がかかり周囲の山々はほとんど見えなかったのは残念。硫黄山へいった。噴煙はそれほど上がっていなかったが硫黄がいつになく鮮やかなレモンイエローだったのが印象的であった。折りしも真っ白なイソツツジが満開で、あたり一面を覆いつくしていてきれいだった。続いて川湯から砂湯へ。湖の砂を掘って足湯が作られていたが、その湯の意外な熱さに驚いた。湖のほとりのクッシー街道を走り、池の湯へ行き、大きな武四郎碑を見る。屈斜路の友人への挨拶もそこそこ、いつものレンタルコテージ「エメラルドレイク屈斜路」へ。こんなに駆け足で周ったのは、前々から何度も誘われていた弟子屈の知人数人とこの夜、会食をすることになっていたからである。疲れた。
7月7日
 早朝に出発し別海に向う。加賀文書館で、戸田先生に、アイヌ語地名と地形、加賀伝蔵と松浦武四郎の交流、新しく発見された資料と種痘の話など詳しく教えていただき、資料館の中をご案内いただいた。その後、戸田先生に案内いただいて現地へ。チャシコツ遺跡、伊能忠敬碑、白鳥台、尾岱沼、標津のチャシコツ、コイトイ、ナラワラ、ネーチャーセンターなど詳しく説明していただいた。さていよいよここからは戸田先生の車に乗せていただいて野付砂州の先端まで。実は灯台から先は一般車両進入禁止になっていたからである。3年ほど前、私たち夫婦は11月に何時間もかけてここを歩いたことがある。池田番屋のところで車から降りる。砂州は途中から2方向に分かれていて、戸田先生が、対岸の遠くを指差し「あのずっと向こうに3本ほど木の立っているのが見えるあたりが通行屋番屋のあった遺跡にあたります」と。あああそこまで私たちは行ったんだとその遠さ、広さにびっくりする。帰りはゆっくりと野付の原生花園を堪能する。野は、エゾキスゲセンダイハギの黄色で埋め尽くされ、その中に、ハマナスヒオウギアヤメ、エゾニュウ、フウロなどの花々が可憐な姿を見せていた。
 夕方屈斜路に戻る。チセの中を見せていただいたり、アイヌ民族資料館へ寄ったり。資料館の裏では、10年ほど前、私達がここの花壇に植え始めたルピナスが湖を背景にして咲き競っていた。近年立てられた武四郎碑、露天風呂のあたりを散策した。
7月8日
 いよいよ最終日。同行の知人と夫が弟子屈町役場へ表敬訪問するのに付いていった。町長、教育長など多数の方が対応してくださった。
 最終地阿寒へ。双湖台から北海道の形をした湖を眺める予定だったがあいにくの霧。滝見橋で武四郎碑を見、阿寒湖畔では、もう一つの武四郎碑を見て、ボッケへ。コタンに並ぶ店のあちこちを覗き、ポロンノでアイヌ料理のポッチェイモを味わった。あとは一路釧路空港へ。忙しかったが充実した旅を終えた。
 

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