いのち輝く北の水辺 ラムサール条約登録・北海道の湖沼

いのち輝く北の水辺
ラムサール条約登録 北海道の湖沼
 ラムサール条約は、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約として、1975年、「湿地及び水鳥の保全のための国際会議」において作成されたものである。その意義は次のようである。
 「湿原、沼沢地、干潟等の湿地は、多様な生物を育み、特に水鳥の生息地として非常に重要である。しかし、湿地は干拓や埋め立て等の開発の対象になりやすく、その破壊をくい止める必要性が認識されるようになった。湿地には国境をまたぐものもあり、また、水鳥の多くは国境に関係なく渡りをすることから、国際的な取組が求められる。そこで、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地及びそこに生息・生育する動植物の保全を促し、湿地の賢明な利用(Wise Use)を進めることを目的とする。」と述べられている。
 2005年20ケ所が追加登録され、日本全国では33ケ所となった。このうち北海道は12ケ所である。全国に残された湿地の8割が北海道にあるという。
 2005年11月、野付を歩いていたら、ネイチャーセンターの入口に真新しい「祝・ラムサール条約湿地登録」の看板が掲げられていた。以前から、知床や霧多布湿原のトラスト運動に関心をもち多少関わってきた私たち夫婦は、ともに心から登録を喜び、今までに訪れた北海道の登録湿地を思い出していた。それらを紹介したい。いのちのドラマがあふれた大自然の揺りかご、美しい水辺の風景は心にも潤いをもたらす。豊かですばらしい北海道の湿地で、保全と活用の共存をどう計っているのだろう。


釧路湿原 1980年登録(日本最初の登録地)
 釧路川の源流である屈斜路湖のほとりに長く滞在することの多い私たちは、幾度となく釧路湿原に出かける。屈斜路湖からと塘路湖から湿原の中をカヌーで下ったこともある。この湿原の周辺には、植物が約600種、哺乳類26種、両生類4種、爬虫類5種、魚類35種、鳥類170種、昆虫は確認されたものだけでも1150種の生物が生息しているという。総面積18,290ha 日本最大の湿原である。はじめてここをキャンピングカーで走ったのは9月始め、まだ暑い頃であったのに、湿原の中に丹頂鶴を発見し、驚いて望遠レンズで何枚も写真を撮ったのを覚えている。あとでこの湿原の鶴は通年いるのだと知って、驚きあわてて追いかけた様を思い出し大笑いした。画像は2月末の展望台から見た釧路湿原のなかをうねうねと流れる釧路川と、鶴見台の丹頂鶴。
クッチャロ湖 1989年登録
 クッチャロ湖は淡水湖で、日本に飛来するコハクチョウの約80%(約2万羽)が渡りの途中に利用し、カモ類を中心に280種以上の鳥類が観察されている。
 クッチャロ湖を訪れたのは4度。いずれもベニヤ原生花園とセットであったから花の咲く7月。残念ながら有名な白鳥には会っていない。ここの白鳥にまつわる話をテレビで観たことがある。それによると、樺太に住んでいた人が子どもの頃、母親から白鳥の背に乗っていけば北海道に行けるという話を聞いて育った。その人が北海道に引き上げてここに住み着き、故郷を懐かしみ、餌を蒔いて白鳥を呼んだという、たしかそんな話であったと思う。渡り鳥に餌を与え、しばしの安息の場所を作る、ここだけではないが、そんな人間の温かさにじんとくるクッチャロ湖である。
ウトナイ湖 1991年登録
 倶知安にいた頃、ウトナイ湖に白鳥が渡ってきたと聞き、見に行ったのは、11月20日であった。湖面に浮かぶ白鳥は優雅であった。たしか44羽を数えたと思う。長い旅をしてきたのだろう。お疲れさん、よく来たね。勇払原野にあるウトナイ湖は、今までに確認された野鳥は250種以上。日本でも屈指の渡り鳥の中継地。地元苫小牧市の協力を得て、1981年、日本野鳥の会が周辺の原野、森林を含めた約511haをサンクチュアリ(野生生物が安全に生息できるように確保され保護されている地域)にしたとのこと。白鳥だけでなく、他の渡り鳥も多くみられるので、数回訪ねたことがある。
 
 
霧多布湿原 1993年登録
 ここは3,168haの広さをもつ国内3番目に大きな湿原で、湿原の中央部803haは、「霧多布湿原泥炭形成植物群落」として国の天然記念物に指定されている。花の湿原と呼ばれるここには、たくさんの高山性植物が豊かに咲き競い、6月はワタスゲ、7月はエゾカンゾウに一面覆われる。また国の特別天然記念物に指定されているタンチョウをはじめ水鳥や草原の鳥など多くの野鳥を見ることができる。さらに湿原周辺の森林地帯には、ヒグマ、エゾシカ、キタキツネ、エゾリスなどが生息している。画像の一番上は、琵琶瀬展望台からの湿原である。
 私たちは、北海道遺産を訪ね歩いているとき、ネイチャーガイドの方に湿原を案内していただいたことがある。霧多布は大きく3つに分れるそうだ。まず霧多布湿原センターの周りの湿地、この時は、湿原一面にワタスゲが揺れていた。そして霧多布岬の灯台のあたり。ここには忘れ難い思い出がある。かなり以前、松浦武四郎の歌碑を探し回ったのである。碑は灯台からさらにかなり下った岬の先端に立っていた。すばらしいその歌碑をようやく見つけた嬉しさと感動は忘れられない。3つめは、海岸近くの霧多布湿原トラスト事務局のあるあたりである。ガイドの方はこの3地域の違いや珍しい動植物のことなど丁寧に説明してくださった。
 釧路から根室に向うときしばしば通るこの湿原だが、1ケ月後に通ったとき、この海岸部の湿原はエゾカンゾウの黄色で埋め尽くされ、えぞかんぞう祭りが行われていた。湿原の土地を買い取り開発の手から守るなど湿原の保護に努めているトラスト運動に賛同しその募金活動に応じたこともある。 
厚岸湖・別寒辺牛湿原 1993年登録
 厚岸湖は広大な湖で、高所からその全容が見られるところを知らない。画像の3番目は、厚岸の道の駅から見た厚岸湖である。別寒辺牛湿原の「ベカンベ」はアイヌ語で水草である菱の実、「ウシ」は〜のたくさんあるところである。国内有数の原生的な自然が残されたこの湿原全体の面積は8,300ha、このうち5,277haが登録湿地である。厚岸湖は、別寒辺牛湿原の下流に位置する汽水湖で、湖面が冬でも全面結氷することが少なく、オオハクチョウが1万羽以上中継地として湖を利用し、そのうち結氷具合に応じて1,000から3,000羽が越冬する国内有数の中継地・越冬地である。また湿原で例年約25から30つがいのタンチョウが繁殖する。さらにカモ類の重要な中継地・越冬地でもある。河口の低層湿原では、ヨシ、スゲ類、ハンノキの群落が、中流域の高層湿原ではガンコウラン、イソツツジ、ヒメシャクナゲなど高山植物の約110haの群落が見られる。汽水湖である厚岸湖湖畔には、アッケシソウなどの塩湿地性植物群落が点在し、この群落にはシバナ、ヒメウシオスゲ、ウミミドリ、エゾツルキンバイ、チシマドジョウツナギ、エゾハコベ、ウシオツメクサなどの希少種が混在する。高層湿原では、オオミズゴケなどからなるミズゴケ群集、その上に、ガンコウラン、ヤチツツジ、イワノガリヤス、イソツツジ、ヒメシャクナゲなどが群落を作っている。確認されている鳥類200種のうち、湿原を利用しているのは110種。特記すべきは、オオハクチョウ、オジロワシ、オオワシ、タンチョウ。オジロワシ、オオワシ合わせて300羽以上が越冬する。哺乳類では、エゾヒグマ、コウモリ類のドーベンコウモリ、キタクビワコウモリ、テングコウモリなど10種。魚類ではトゲウオ科魚類5種、イトウ。
 湿原を保護するため、別寒辺牛川へのカヌーの乗り入れはその艇数が制限されている。講習を受け、ライセンスを取る必要がある。何度も問い合わせ、ライセンスを取得しようとしたところ、その講習はインストラクターのカヌーに乗せてもらい湿原の案内と自然保護についての話を聞くことであった。降りたところで川下りライセンス証をもらった。ちなみに厚岸水鳥観察館でもらった私のそれはAK02024である。ほんとうは自分で川くだりをしたかったのだが。
 厚岸湖から少し離れたところに、あやめケ原というところがある。霧の中で見たあやめの幻想的な美しさも忘れることができない。
雨竜沼湿原 2005年登録
 暑寒別岳の中腹、増毛山地の標高850mの溶岩台地に東西4km南北2km、100haにわたって広がる雨竜沼は、日本有数の山岳型高層湿原帯。大小の真円形の池塘が百数十点在し、豊かな雪解け水と1年の平均気温が2℃という冷涼な気候のもと、春の雪融けから秋までに200種以上の花や植物が観察できる。特に7月上旬から8月上旬までの短い夏の間には、エゾカンゾウをはじめ多くの花々が一面に鮮やかに湿原を彩る。特産種としてオゼコウホネの一品種としてウリュウコウホネが報告されている。池塘を彩るエゾベニヒツジグサ等の浮葉植物やエゾカンゾウ、タチギボウシ等は見応えのある山岳湿原として美しさを呈している。またトンボの楽園としてルリイトトンボなど10種類が生息している。高層湿原は、寒冷貧栄養の生息環境下でミズゴケ、スゲ類が腐食しないまま15000年あまりの歳月をかけて堆積し、厚みを増して元の水面より盛り上がったことによりできたものである。
 ここを訪れたのは7月16日、前日は大雨で雨竜道の駅で車中泊し、雨の上がったのを確かめて、4時半に出発、5時半南暑寒別荘に着く。そこを6時半出発、雨が上がったとはいえ滑る山道を四苦八苦して登り、湿原に着いたのは8時15分であったと記録にある。湿原の中には一周3.5kmの木道があり写真を撮ったり昼食をとったりのんびりと3時間近くすばらしい湿原を堪能した。オオバタチツボスミレ、アマニュウ、ミヤマキンポウゲ、エゾノシモツケソウ、クロバナハンショウヅル、イワイチョウ、ワタスゲ、カラマツソウ、ハイオトギリ、ハクサンチドリ、ヒオウギアヤメ、トカチフウロ、フサスギなどを見つけたが、なんといっても湿原一面を覆いつくすエゾカンゾウの黄色には圧倒された。しかし大きな三脚を据え、木道から下りて撮影する写真愛好家のマナーは眼に余る。夫は本当に怒り注意したが素知らぬ顔、困ったものである。帰途、軽装のバスツアー客にあった。同じリボンを付けていたから同一団体なのだろうが先頭から最後らしい人まで体力差であろう、大げさでなく1時間近くの差があった。時間制限のあるツアーだからおそらく湿原にまで辿り着けない人もあったに違いない。考えさせられた。というのもこの夏8月、後方羊蹄山では、ツアー登山のうち2人がはぐれてしまい凍死した。山を甘くみてはいけない。
サロベツ原野 2005年登録
 オロロンラインが大好きでよく走りに行く。日本海沿い30kmにも及ぶサロベツ原野にも何度か立ち寄ったし、ある時などは、原野の真ん中の駐車場にたった1台車を停めて車中泊したこともある。しかし花の命は短い。この原野が花で埋め尽くされる花の最盛期には残念ながら行き当たったことがない。画像右上は、パンケ沼野鳥観察舎である。
 サロベツはアイヌ語の「サル・オ・ペツ」葦原を流れる川が語源。日本最北の湿原をかかえる原野は地名そのものが地域の特色を物語っている。湿原は泥炭でできており、泥炭は枯れて死んだ植物が蓄積したもので、その成長は1年に1ミリ、この地の形成は5000年ほどの歴史がある。悠久の時を経てなお力強い大自然の姿を見せる23,000haもの広大な湿原の中央に位置する原生花園では、初夏から秋にかけて、ツルコケモモやヒメシャクナゲ、鮮やかな黄色をしたエゾカンゾウや可憐な紫のエゾリンドウなど約100種にも及ぶ湿原植物や花々が壮観。カキツバタ、食虫植物のナガバノモウセンゴケ、トキソウなど湿地に適応し、湿地ならではの彩りあふれる水辺である。またエゾユキウサギ、モモンガ、オオヒシクイ、テンなどの別天地、命の揺りかごで、生き物たちの命輝くところ。さらに、海鳥アカエリカイツブリ、秋のオオヒシクイの群れを成しての渡りなども見ものとか。
 しかしあまりにも広大な泥炭地は、主とする酪農業にはやっかいもので、近代化農業が始まると共に、各地で大規模な農地開発が行われ、泥炭地の排水やサロベツ川のショートカットなどで湿原の水位が次第に低下、公園内の地下水路も変化がみられ、泥炭地が乾燥化しはじめ、西側からササが侵入してきている。ラムサール条約では、環境を損なわず、湿地と鳥を守りながら利用を制限しないというワイズユースつまり保護と利用共存の道を模索しているという。なかなか難しい。
濤沸湖 2005年登録
 冬季渡り鳥がたくさんいる頃に4〜5回行ったかなあ。夏も小清水から網走まで35kmを歩いたときもこの長い湖のほとりの道を歩いて通った。
 アイヌ語で「チカンプトウ」と呼ばれ、鳥がいつもいる湖という意味を持つ周囲約28km、面積900haの汽水湖・海跡湖。海とつながり潮の満ち干きがあるため一部が凍らず鳥たちの越冬地となっている。このように、ラムサール条約登録地には、淡水ばかりでなく、干潟や浅い海も含まれている。
 淡水と海水が入り混じる汽水湖であるため、川の栄養に海の栄養が加わり、生き物にとって豊かな環境である。オオハクチョウは日本で最大級の渡り鳥で、数千羽が飛来し、そのうち数百羽は  -20℃の世界のここで越冬する。沿岸の浅瀬で生育する海草のアマモが餌となる。他にもカモなど50種類をこえる渡り鳥が立ち寄り羽を休める。湖にはワカサギやチカなど海で大きくなった魚が来、ホオジロガモはこれを食べる。マガモは、ヨシ原に身を隠す。タンチョウもヨシ原で子育てをする。オジロワシは主に魚を、ときにはカモなども狙う。ヒシクイもたくさん来る。白鳥公園には野鳥観察舎があり、有名な餌付けもここで行われている。また年間を通じて多くの野鳥が飛来する。シギ・チドリ類やガン・カモ類である。
阿寒湖 2005年登録
 屈斜路に長く滞在することの多い私たちは、隣の阿寒湖へは数え切れないほど通った。
 阿寒カルデラ、カルデラとはポルトガル語で「鍋底」を意味する。高く聳えた火山が大量の火山灰等を噴出した後、中央部分が地下の空隙に陥没した地形をいう。15〜10万年前の火山活動の陥没で古阿寒湖ができ、1万年前に雄阿寒岳が噴火しその溶岩流が古阿寒湖に流れ込みペンケトー、パンケトー、阿寒湖の3湖にわかれた。その後も雌阿寒岳が噴火し火山活動は続いている。阿寒湖は周囲26km、水面標高420m、面積13平方km、最大水深42mでT字型をしている。ここはマリモの自生する珍しい水辺だ。マリモは、火山活動によって水中に多いナトリウム、カルシウムを養分とし、遠浅で透明度の高い水は底まで太陽の光が届き、充分な光合成ができる。湖畔から標高約1000mまでの間の深い原生林は、エゾマツ、トドマツ、イチイなどの針葉樹林、ナナカマド、イタヤカエデ、シナノキ、ヤチダモなどの広葉樹を交えた針広混交林が広がっている。雨や雪解け水はこの落ち葉の濾過を通して透明度の高い真水となる。美しい水にしか棲まないアメマスもここにはいる。また阿寒湖周辺にはヒグマ、エゾシカ、キタキツネ、エゾリス、シマリスなど多くの野生動物が棲んでいる。私はこの湖畔ではじめてアオゲラを見つけ感激したことを覚えている。
 
野付半島・野付湾 2005年登録
 野付は屈斜路から比較的近いこともあって私たちが足繁く通うところである。私たち夫婦は野付がたいへん気に入っている。原生花園の中を馬車でトドワラまで行ったり、冬にはスキーで真白でキラキラ輝いている雪原を馬車道を探しながら入ったり、長靴を履いて浜辺を散歩したり・・・ここはまた、擦文時代の竪穴式住居も見られるし、江戸時代には国後へ渡る要所として通行屋が設けられ、北方警備の武士も駐在したところだ。それらの遺跡や幻の町「喜楽」を探しに行ったりと歩き回っている。
 2005年11月9日、ネイチャーセンターへ行ったら、正面に「祝・ラムサール条約湿地登録」の看板が掲げられていた。今日がちょうどその日で、看板は昨日付けたところだとのこと。今日がその日だなんて、感動した。当日はラッキーなことに、北海道遺産にもなっている打瀬舟も見ることができた。これは伝統的漁法「打瀬網漁業」に用いられる舟のことで、この漁は風の力を利用して底引き網を引く方法。帆を張って舟を操るのも網を曳くのも風の力を利用する。水深0〜5mの浅い野付湾で、ホッカイシマエビの住み処であるアマモをスクリューで傷つけずに漁を行うために使う。明治時代から行われている穏やかな漁法が今も続けられている。
 全長26km日本最大の砂嘴である野付半島では、珍しい現象が見られる。ここには江戸時代の中頃まで、トドマツ、エゾマツ、ハンノキ、カシワなどの原生林があった。しかし地盤沈下によって海水が侵入し木々が立ち枯れを起こした。トドワラというのは、トドマツの枯れ木群のことである。別の場所ではミズナラ、ダケカンバ、ナナカマド、エゾイタヤなどの立ち枯れもあり、ナラワラと呼ばれている。野付埼灯台周辺の原生花園では、ハマナス、センダイハギ、エゾカンゾウ、ノハナショウブなど色鮮やかな花々が一面を埋め尽くす。野付湾ではゴマフアザラシが見られ、毎年約60頭が確認されている。海と陸の絶好のバランスを保つここは、アマモなどの食べ物も豊富な上、水深が浅くシャチなどが来ないため30頭ほどのゴマフアザラシは年中棲みついているらしい。タンチョウは、野付半島では早春から晩秋まで見られる夏鳥で、毎年3〜4組の夫婦と親離れした若いタンチョウが見られる。オジロワシは日本で一部繁殖しており、野付半島でも繁殖しているので通年見ることができる。オオワシはすべて渡りだが、この半島にも400羽ほど集まることがある。
風蓮湖・春国岱 2005年登録
 春国岱は根室半島の付け根に位置する長さ8km・幅最大1kmにおよぶ沿岸砂州で、面積は約596ha。砂州の上にはアカエゾマツの林、周辺には塩性の湿地、砂丘の上の草原など多様な環境が形作られている。砂州によって海と隔てられた風蓮湖もあわせると256種もの野鳥が観察されている。
 風蓮湖も大好きな場所である。圧巻は冬の風蓮湖、その砂丘を1000頭は悠に越すだろうと思われるエゾシカが埋め尽くす。遠くは十勝からも砂丘に生える草や小さな木を求めて寄って来るそうだ。もちろんハクチョウをはじめとする渡り鳥も多い。海水と真水が交じり合う汽水湖である。
 春国岱では、独特な森が広がっている。砂浜も吹きつける潮風も濃い塩分を含んでいる。海岸から200mほどしか離れていないところに、高さ15mものアカエゾマツの森がある。その根元にはコケがびっしり生え、雨水を貯え樹木に水を供給する。樹木は日差しを遮りコケを乾燥から守っているのである。この森が作られるのに3000年を要したといわれる。ここでも地盤沈下によって海水が浸入し立ち枯れた木々がある。それらの枯れた木も、アカゲラなどに棲みかと餌場を提供している。塩分の強い春国岱でも、アッケシソウ、ヨシ、スゲなどが育っている。
 4月29日、その日屈斜路は大雪であった。雪に埋まった車を掘り出して、春国岱ネイチャーセンターの自然観察会に出かけた。不思議なことに春国岱の雪はほとんどなく、水芭蕉、ザゼンソウ、バイケイソウ、エゾエンゴサク、行者ニンニク、フキノトウなどがたくさん見られた。フクジュソウもわずかではあったが咲いていた。エゾアカガエルの卵も見つけた。
宮島沼 2000年登録
  宮島沼は、石狩川中流域、石狩泥炭地帯の美唄原野に属する約30haの小さな淡水湖である。石狩川の氾濫で遺棄された残留湖沼のひとつ、自然遊水地の性格をもつ。
 宮島沼はマガンの日本最大最北の中継地。春と秋に4万羽以上のマガンが滞在する。またハクチョウ類やカモ類も多くあわせて6万羽以上になる。オオハクチョウ、コハクチョウ、オナガガモが多い。湖岸のマコモ、ヨシの抽水植物群落では、オオヨシキリ、コヨシキリ、ノビタキ、カワラヒワ、ノゴマ、オオジュリンなどの小鳥が繁殖し、ユリカモメやアオサギも生息する。
 湖内にはヒシ類、ヒルムシロ類、コウホネ類、絶滅危惧種のタヌキモ、ネムロコウホネの水生植物、コイ、フナ、ウグイ、ヤチウグイ、ドジョウ、キタノトミヨ、ワカサギなどの魚類、ドブガイ、タニシ、モノアラガイなどの貝類が。
 1893年入植開拓がはじまり畑が広がった。1970年代に水田に転化。湖底からの湧水は絶えた。宮島湖の最大水深は2.4m平均1.7mである。マガンは周辺農耕地で稲穂など採食していたが、近年水田が少なくなり、変わった小麦の若芽をついばむ食害が出ている。また農業排水、生活排水による水質の悪化で水生植物相の劣化が進み、ジュンサイ、マツモ、ミズゴケ、モウセンゴケ、ツルコケモモ、ホロムイスゲは消滅した。さらに鳥類の鉛中毒死も問題になっている。今、美唄市では鳥たちへの餌場つくりの取り組みが始まっていると聞く。
 ラムサール条約に制定された北海道の水辺は12だが、残念ながらここだけは行ったことがなかった。3月12日、美唄からタクシーで念願の宮島沼を訪ねた。予想通り沼はまだすっかり氷結し真っ白な雪の下であった。マガンが渡って来るのは3月下旬とのこと、その頃再び訪ねたい。

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