北海道・屈斜路へ

わが心のふるさと
 夢 屈斜路
 いつも行きたい行きたいとあこがれ続けている北海道、なかでも屈斜路への思いは強い。
 夫の仕事の関係でなかなか思いは叶えられない今年だが、わずかの時間を利用して細切れで訪れることにした。
     10月3日〜5日  阿寒 屈斜路
     11月7日〜14日 屈斜路古丹(イチャルパ) 野付半島(打瀬舟) 丸瀬布 網走 阿寒 釧路
     3月10日〜16日 江別 札幌 美唄 旭川 釧路 屈斜路 別海 美幌 阿寒 


駆け足の旅 屈斜路
 所用があって阿寒と屈斜路へ10月3日から5日まで2泊3日の短い旅をした。
床ヌブリ氏と
 床ヌブリ氏のお名前を知ったのは5年前、ETV特集「親友」で、漫画家の赤塚不二夫氏との対談を見たときであった。
 ヌブリ氏はアイヌの著名な彫刻家のお一人である。「木を観る。じっと見つめる。すると木がこう彫ってほしいと語りかける。そのインスピレーションに導かれて作品が生まれる。」とおっしゃる。阿寒にお住まいの床ヌブリ氏を訪ねお目にかかることができた。
 いろいろお話を聞かせていただくうち「松浦武四郎は語り部であった。歴史の語り部であり、民族の語り部であり、蝦夷地の語り部であった」と。感動的な言葉である。ヌブリ氏の作品を釧路市など行政が買い上げ、皇室の方々やエジンバラ公・外国の大使などにたくさん献上しておられるが、一般に売られることはほとんどなかったと聞く。そこを無理にお願いしてユーカラクル(語り部)の彫像(画像)を譲っていただいた。そしてまたヌブリ氏は白い彫像(画像)を私にプレゼントしてくださった。私は躍り上がって喜んだ。
屈斜路湖を巡る3つの峠で
 屈斜路プリンスホテルで1泊した翌日、屈斜路湖のほとりを走った。まず訪れたのは美幌峠。峠のある台地、屈斜路湖とそれを囲む山々。目の前に雄大な景色が展がっていた。2年振りとうとう私はここに立っている。次に津別峠に行った。ここは冬季通行止めになるので訪れる機会が少ない。しかも展望台のあるところまでは行ったことがない。はじめて訪れた峠の展望台はしゃれた佇まいを見せていた。色づきはじめた紅葉を通して風が吹き抜けていた。少し下ったところから見る屈斜路湖はすばらしかった。1999年紅葉の盛りにここから見た屈斜路湖に感動したのを思い出していた。
 それからコタンや砂湯、川湯などで友人・知人にたくさん会い、懐かしさでついつい話し込んでしまった。その後3つめの峠小清水峠に上がっていった。ここは屈斜路湖を眺める私の最もお気に入りの場所だ。斜里岳、そして湖の向こうに噴煙を上げる硫黄山、雌阿寒岳、雄阿寒岳が晴天の下にくっきり見えていた。小清水高原まで上がるとさらに摩周岳、西別岳も望めた。
 摩周湖まで上がっていった。湖は、静かに神秘的に私たちを迎えてくれた。降りて仁多の福田さんを訪ねた。福田さんはあいにく入院中だったが、今はリハビリ中で心配ないとのこと、奥さんと再会を喜び話しこんだ。再び屈斜路湖畔にもどり友人とつきせぬ話に花が咲いた。いつもお世話になるレンタルコテージエメラルドレイク屈斜路は急なこととて管理人さんがお留守、オーナーの奥さんとまたまた話しこむ。
 2泊めはサワンチサップのレークウッド屈斜路に泊った。雰囲気のよいホテルであった。
 この日は、友人たちと別れを惜しみ、11月に訪れることを約束して、阿寒湖に戻った。床ヌプリ氏のユーカラ堂で以前から欲しかったユーカラ織りを買った。息子さんにまりも祭りのイナウケをやっているからと案内してもらい、20人ほどの人がきれいなイナウを作ってみえる作業を見学させていただいた。
 わずかの期間の旅ではあったが充実した3日間であった。北海道の空気を思いっきり吸い込んだ。
 
再びイチャルパへ
 どうしてもイチャルパに参加したくて夫は休暇をとり11月7日から14日まで屈斜路にでかけた。
11月7日
 釧路の和商市場で買い物をし、夕刻いつものレンタルコテージ・エメラルドレイク屈斜路に着いた。今年は暖かくまだ紅葉が残っており、そこはメルヘンの世界であった。
11月8日
 夫は男の人たちとヌササン(祭壇)に飾るイナウ(木幣)を作るためのスス(柳)を伐りにいき、帰ると木皮を剥ぎ4日後イナウを作るため乾かした。夜間激しい雷雨があった。
11月9日
 時間があったので、大好きな野付に行った。国後がよく見えた。野付半島の入口から最後の駐車場まで18km、半島の先端まではまだまだ遠い。しかし国後島はここから16kmというのだから驚く。島はすぐそこなのだ。ネイチャーセンターに寄り、内藤さん、島田さんからいろいろお話を伺った。そして念願だった打瀬舟を望遠鏡で見せていただいた。水深の浅い野付湾で帆を張って漁を行う打瀬舟は北海道遺産に選定されており、春と秋が漁期なのだが今年は11月15日までで、ほんとうにラッキーなことに巡りあうことができた。竜神崎灯台まで行き戻ってくると打瀬舟は半島に近づいており、目の前で見ることができた。グットタイミングこのうえない。その後、尾岱沼にいき、前にお世話になった永野さんを訪ね、白帆食堂で北海シマエビ丼を堪能した。こちら側からも三角の真っ白な帆を張る打瀬舟を見ることができた。この日は風が強く帆は3枚のうちの2枚が張られていた。
 夕刻、いつもお世話になる裕子さんに、アイヌの人たちがお守りとして大切にしているイケマの根を採りに連れていただいた。
11月10日
 釧路空港へ、松浦武四郎記念館学芸員の山本さんを迎えに行った。例によって和商市場で買い物をした。
 三人で、釧路市立博物館へ行った。この博物館は何度見てもすばらしい。その後、幣舞公園へ武四郎像を見に行った。日は暮れていたが薄明かりの中に浮かぶ像もまた風情があった。
11月11日
 松浦武四郎研究会会長の秋葉實先生を訪ね丸瀬布まで伺った。美幌峠を経て、峠の湯で、武四郎記念碑を見ながら行った。丸瀬布のマウレ山荘で先生からお昼をご馳走になったりした。近くの森林公園いこいの森にある北海道遺産「森林鉄道蒸気機関車・雨宮21号」は残念ながら車庫の中で、見られなかった。
 帰りに、「北海道立北方民族博物館」へ寄った。ここも何度も訪れているところだ。小清水峠を越えて屈斜路に戻った。
11月12日
 朝から女の人たちはお料理を作るのにおおわらわだった。昨日も神に供えるシト(上新粉と白玉粉で作るお団子)作りがあったが私は休ませてもらったので、今日こそと張り切っていた。神への供物とふるまいの料理は・・・アマム(稲黍、小豆、土豆、マウニ(ハマナスの実)、乾燥プクサ(行者にんにく)を入れたご飯)、かぼちゃラタシケップ(かぼちゃとシケレベ)、いもチョッケップ(ジャガイモとイクラ)、オハウ(大根、人参、ボリボリ、じゃがいも、白ネギ、白菜、突きコン、豆腐、サケなどの入った汁もの)、ししゃも、サケ、漬物等々。
 男の人たちはチセ(アイヌ民族の家)で、イナウやタクサ作り、祭壇の準備、祭祀用具の準備、供物の準備などにこれまた忙しい。
 午後5時、いよいよチセでイチャルパ(先祖供養祭)の前夜祭がはじまった。酒濾しの踊り(画像)で祀りは始まった。祭主であるエカシの指図に従ってシントコの中のお酒を吟味役が吟味するシントコサンケが行われた。「ピリカ トノト」(よいお酒ができました)の返事があり、高杯にお酒が配られる。シントコ、囲炉裏、チセの隅々など大切なものに飾りイナウを捧げる。杯のお酒はイクパスイで神に捧げ、カムイノミをする。カムイノミは神々への祈り、先祖への祈りの言葉である。今年のイチャルパはアイヌ語でカムイノミができる客も多く、高く低く流れるカムイノミは荘厳で感動的なものであった。ここまでは男の人による儀式、ここからが本番のイチャルパで、その主役は女性たちである。祭壇には準備した料理の他、鮭、昆布、米、稲黍、塩、酒かす、シト、野菜、果物、お菓子などが所狭しと並んでいる。女性はそれらの一つ一つを自分の口で吟味し囲炉裏端の神や先祖に供える。続いて遊びに来てくださった神や祖先に歌や踊りを披露し楽しんでもらう。今年の圧巻は剣の舞であった。その後、お供えしたお料理が、祀りに参加した人々にも振舞われ、宴は遅くまで続いた。
11月13日
 本祭の日である。チセでカムイノミ、杯事、神と先祖への祈り、イチャルパが行われた。湖畔の春ニレの大木の前にヌサ(祭壇)が整えられる。チセの中のイナウ、高杯、イクパスイ、供物などはすべて神の窓から手渡される。湖畔では、古いイナウや削られたススの皮などが燃やされる。儀式は、カムイノミ(画像)、杯事、女性によるイチャルパである。私もイチャルパに参加させていただいた。(画像) 儀式の最中、粉雪が舞い、厳粛な気分にひたった。最後はやはり踊りと歌の披露であった。この日は、弓の舞が披露されたが、その美しさ素晴らしさに酔いしれた。(画像)
 チセに戻り、お料理をご馳走になった。
 午後は、摩周湖、摩周湖畔にある武四郎の碑、硫黄山、砂湯などを周り名残を惜しんだ。池の湯にある武四郎碑も電池を照らして見に行った。見たいものがたくさんあり、時間が足りない。
 私たちの宿泊した7泊、毎夜のように友人たちが訪れてくれて、一緒に食事をしたりして親交を深めることができたのも楽しい思い出である。
11月14日
 コタンの友人達に別れを告げ、真白に雪を頂く雌阿寒岳を見、双湖台に上がり、阿寒へ向った。滝見橋のそばの武四郎碑、阿寒湖の武四郎碑も訪れ、ボッケも見に行った。その後、アイヌコタンに床ヌプリさんを訪ねた。空港への途中で、鶴センターへ寄り、たくさんの丹頂鶴を見てきた。
 
北海道遺産を訪ねる旅
3月10日
 夫の休暇を待っていては大好きな北海道へ行けずに季節は移ってしまう。ここは一つ一人で行ってしまえと旅立った。千歳から札幌で乗り継いで江別に向った。北海道遺産の「江別のれんが建物群」を見るためである。市内をタクシーで400棟も残っているというれんが造りの建物を見て周った。小学校、民家、サイロ、そして工場である。3ケ所稼動している工場のうちの一つ米澤煉瓦では、3月末に火入れをすると800度〜1200度になるという70mもある窯の奥まで入れていただき感激した。
3月11日
 札幌に宿泊し、この日は終日広い札幌市内を走り回った。まず北海道遺産である「開拓使時代の洋風建築」めぐりである。豊平館(画像)は定山渓に滞在していた頃よく歩くスキーを楽しんだ中島公園の中にウルトラマリン・ブルーで縁取られた美しい姿で建っていた。清華亭も雪の中で入口を探すのに苦労した。旧永山武四郎邸(画像)は残念ながら修復工事中で内部の見学はできなかった。
 午後は、これも北海道遺産である「札幌苗穂地区の工場・記念館群」へ行った。バスの便がうまくいかず広い地域をほとんど歩いて周った。サッポロビール博物館、雪印乳業史料館(休館)、福山醸造(休館)、北海道鉄道技術館などである。疲れたが札幌の下町の様子がよく感じ取れておもしろかった。
3月12日
 朝早く札幌を立ち美唄に向った。ラムサール条約に選定された宮島沼に立ち寄りたかったからである。ここからはタクシーしかない。しかし、マガンをはじめとする渡り鳥が6万羽といわれる宮島沼も今はまだ真っ白な雪の下で、新しい観察所が建設中、残念ながら鳥の姿は全くなかった。駅に戻るとその小さな駅舎に「石狩の美国といへる停車場の柵に乾してありし赤き布片かな」という石川啄木の歌が書かれていた。
 次に向ったのが北海道第二の都市旭川、札幌と旭川は急行で1時間半である。午前中に北海道遺産の「旭橋」を見に行った。ダークグリーンのアーチが白い雪に映えて美しかった。午後は近年爆発的な人気の旭山動物園をたっぷり楽しんだ。「伝えるのは命のかがやき」をテーマに展示の工夫で迫力満点、噂にたがわず凄い動物園だった。トラ、ライオン、ヒグマ、黒ヒョウ、雪ヒョウ、トナカイ、ワビチ、エゾシカ、ラクダ、オランウータン、象、猿、オオワシ、オジロワシ、タンチョウ、ホッキョクグマ、アザラシ、シロフクロウ・・・中でも北極熊の迫力はすごかった。人気イベントのペンギンの散歩のときは、どこから湧いてくるのかと思われるような数千人の人並みで驚いた。ペンギンの歩く姿はかわいくて、この人、人、人の行列もうなづけた。
3月13日
 早朝にバスで釧路に向った。旭川から釧路まで、当麻、愛別、上川、層雲峡、石北峠を越えて、北見、温根湯、留辺蘂、津別、阿寒と通る6時間半のバスの旅を楽しんだ。釧路でレンタカーを借り、和商市場で買い物をし、屈斜路へ向った。途中、阿寒町の鶴見台でたくさんいた丹頂鶴を見て、とうとう道東へ辿り着いたのを実感した。 
3月14日
 宿泊したのは、屈斜路に来たとき多く利用するエメラルドレイク屈斜路のレンタルコテージ。早朝に出発し風蓮湖に向った。走り出すとすぐ藻琴山、摩周岳、西別岳が雪をかむって朝日に輝いていた。風蓮湖砂州にはエゾシカの群れを見に行ったのだが、かつて見た砂州を埋め尽くす数千頭の姿がない。走古丹の方へも行ってみたがわずかに数頭見かけただけ。走古丹の漁港で西村嘉信さんに伺った。シカが増えすぎてその食害に苦慮し、4年前から年に400頭ほど捕獲しているとのこと。そう言えば集落の入口に「エゾシカ捕獲区域」の看板が掲げてあった。鉄砲を撃つと氷の上を渡って対岸に逃げたそうだ。それで今では随分少なくなったらしい。住民の被害は甚大で、根室海峡をバックに立つあの壮観な光景を見たくてやってきた自分を恥じた。西村さんは明日からあさり漁に出るそうで氷を割って舟を出してみえた。昨日までは氷下漁で、その様子も話してくださった。氷の下から網をあげると、オオワシ、オジロワシが投げ捨てる魚を求めてあたりが黒くなるほど寄って来るそうだ。エサが少なく弱っているオジロワシは人が手で与える魚でも食べるらしい。
 尾岱沼に向うと、国後島、爺々岳、斜里岳、遠音別岳、海別岳、羅臼岳、硫黄岳が次々と真っ白な姿を現しすばらしい。尾岱沼の白帆さんではいつも北海シマエビ天丼をいただくのだが、今日は白帆定食。これには驚いた。コマイのルイベ、ホタテ等のさしみ、紅シャケ、北海シマエビ、イクラ、サケのイズシ、ホッキ貝の酢のもの、アサリの味噌汁等々この地でなければ食べられない郷土料理がずらりと並び大感激。
 午後は別海の加賀文書館へ行き、長時間話し込む。屈斜路に帰る道で噴煙をあげる雌阿寒岳が落日に染まり、雄阿寒岳が黒いシルエットで浮かび上がる光景が見られ息を呑む美しさであった。
 夜は友人夫妻が来訪。日付けが変わるまで話し込んだ。
3月15日
 今朝も早朝にコテージを後にする。湖畔で藻琴山のあまりの美しさに何枚も写真を撮った。美幌峠を越えて美幌博物館へ行った。美幌博物館は堂々としたすばらしい博物館であった。
 午後、屈斜路に戻り、知人と話したり、友人のお見舞いに行ったりした後、弟子屈の文化センターで、いつも懇意にしていただいている元農協組合長の福田さんに紹介していただいて、郷土史研究家の方にいろいろお話を聞き教えていただいた。忙しく走り回っていたので今回はまだ白鳥にも会っていない。湖畔に足をのばすと、いたいた。夕景の中の白鳥は涙が出るほど美しかった。
 夜は、友人たちがたくさん集まり、食事会を開いてくださった。準備にずいぶん時間をかけてくださったのだろう手作りの料理が数々並び、その温かいもてなしに胸が詰まった。
3月16日
 友人に別れを告げ、横断道路を通って阿寒に行った。阿寒では久しぶりにエコミュージアムに入り楽しんだ。帰路は釧路空港から中部国際空港へ飛行機で。
 
 小椋桂が、「旅をするのは自分を見つめるためだ。そこに何かを捨て、新しい自分を発見する。」と語っていた。
 屈斜路への旅で、私は何を捨て、何を発見したのだろうかと考えている。

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