やっちみろかい 27日間 九州一周の旅 3

やっちみろかい
 九州一まわり 3
 山もいくつか登ったし、気持ちにもゆとりができ、やっと私たちらしい旅のスタイルになったきた。旅の予定も3分の2を終えた。日数にも少し余裕があるかなと考えたら、さらに楽しい充実した旅にしたいものだと思った。


11月12日
西都原古墳群
 国の特別史跡、国内第1号の「風土記の丘」に指定された古墳群、その数311基。前方後円墳から国内唯一という周囲に3重の堀をめぐらせた円墳の鬼の窟古墳など4世紀後半から7世紀ごろにかけての墳墓が集中している。6世紀後半〜7世紀に造られた円墳で開口した横穴式石室内部が見られる鬼の窟古墳、横穴墓と地下式横穴墓が融合した墓で発掘された状態を見学できる酒元ノ上横穴墓群(西都原古墳群遺構保存覆屋)、4世紀の前方後円墳で主体部の発掘された状態が見られる13号墳、南九州独自の地下式横穴墓の内部をカメラの遠隔操作で見学できる4号地下式横穴墓などを半日かけて見学した。
 当初の計画ではこのまま西北に進み、九州中央山地を越えて椎葉村に入り清和から高千穂に行きたかったのだが、台風による被害であちこちで道が決壊しているため諦めた。そこで日豊海岸を北上することにした。
日向伝統的建造物保存地域
 見学しようと入っていったのだが、道が狭く車を停める場所もないので、写真だけ撮って離れた。
延岡から高千穂へ
 延岡ではなにか懐かしい工場への引込み線を見た。ここから神話街道は五ヶ瀬川に沿って延びる。谷底を覗けば目も眩むような高いところに架かる橋がいくつもいくつもあった。15:09 道路と高千穂鉄道が交差するところを列車が通過していった。
 日之影町堺にある天翔大橋はすごい橋だ。コンクリートアーチ橋としては日本一長い260m、五ヶ瀬川の水面から橋面までの高さも日本一高い約143mである。
高千穂
 先ず高千穂峡に行った。狭い道でたいへんであったが、すでに4時になっており、ごったがえしていたらしい観光客もかなりすいてきていた。それが幸いしてボートに乗りゆっくりと高千穂峡の美しい景観を楽しむことができた。
 今夜P泊する道の駅「高千穂」で休み、高千穂温泉に行って入浴する。
 夜は、楽しみにしていた高千穂神社の夜神楽(岩戸神楽)を見に行く。高千穂地方に伝承されている神楽は、天照大神が天岩戸に隠れられた折に、岩戸の前で天鈿女命が調子面白く舞ったのが始まりとされている。古来より永い間この神楽を伝承して今日に及んでいる。毎年11月の末から翌年の2月にかけて各村々で33番の夜神楽を実施して秋の実りに対する感謝と翌年の豊饒を祈願するものである。たっぷり1時間この珍しく楽しい神楽を堪能してから道の駅に戻った。
 朝起きたら、あまり広くない駐車場に17台の車がP泊していたのには驚いた。夜神楽見物ばかりではないだろうが。
11月13日
天岩戸神社
 神社に向うあたりは朝霧が立ち込めていた。天照大神を祀る東本宮と天岩戸を祀る西本宮が岩戸川を挟んで建っていた。深い木立に囲まれた社殿は厳粛な雰囲気に包まれていた。
通潤橋
 宮崎県の高千穂から県境を越え熊本県の蘇陽町に入る。ここの馬見原は日向往還にある日向馬見原宿場町で、九州のへその町だと書かれていた。イチョウの黄葉がたいへんきれいだった。
 通潤橋は熊本県矢部町にある。通潤橋は、灌漑用水を送るために造られた水路橋である。建設者は、矢部総庄屋布田保之助。工事を担当したのは卯助、宇市、丈八ら「肥後の石工」と呼ばれる名工たち。工事は嘉永5年(1852)12月から1年8ケ月を要した。まわりを深い谷に囲まれたここ白糸台地は水に乏しく、田んぼの水は勿論飲み水も足りないような状態だった。このような人々の苦しむ姿を見かねた布田保之助は6km離れた笹原川から水を引き連通管の原理を利用した通潤橋を完成させた。この工事の完成により、白糸台地に100haの水田が開けた。
 橋の長さ     75.6m
 橋の幅      6.3m
 橋の高さ    20.2m
 石管の長さ  126.9m
国の重要文化財に指定されている。
 水が必要な田植えの頃は別として、他の季節は管の清掃のため橋の中ほどから放水していた。その光景を見にくる人が増え、今では観光用として毎日定時に放水している。私たちは放水時、橋の上にいたがその迫力はすさまじかった。下りてきて見上げても圧倒された。
清和文楽
 戻って、清和文楽の里で予約しておいた文楽を鑑賞した。文楽は人形と浄瑠璃を組み合わせたお芝居。義理・人情の世界が人形によって生き生き演じられる文楽は、江戸時代の末(嘉永年間1848〜53)村の農家の人達が習い覚えて春の祈願、秋の願成のお祭りに自ら奉納はじめたのが興りと言われている。以来、豊作の願いと、日々の安らかな暮らしへの感謝の思いを込めながら、神社や村内の特設舞台で上演が行われてきた。現在は文楽館で上演されている。本日の演目は「傾城阿波の鳴門・巡礼歌の段」 こんな話に極めて弱い私は、話の筋は分っているというのに、上演中涙が流れて止まらなかった。黒子の頭巾を取ると、中から現れたのはいかにも人のよさそうな農家のおばちゃんだった。
 清和の郷土芸能として受け継がれている農村芸能にしても通潤橋にしてもそれはまさにagricultureから生まれたcultureであった。
阿蘇へ
 北上し山を越えていくと、眼前に巨大なカルデラが展がった。阿蘇である。根子岳の屹立する鋭い岩峰の連なりに圧倒され息をのむ。宿に入るにはまだ少し時間があったので、阿蘇五岳が一望できるという俵山展望所に行くことにした。ここは阿蘇から熊本へ抜ける重要な道であったが、新道ができてからは利用が少なくなったとのこと。標高750mの俵山展望所へ昇る前後の峠道はブラインドカーブが続く難所だからだ。展望所は、俵山への斜面の白いススキが折りしも沈もうとする夕陽を受けてキラキラと輝いていた。この日は快晴で眺望もよく阿蘇五岳はむろんのこと九重連山の山々までしっかり捉えることができた。西南の役の碑もあった。傷ついた薩摩軍もあえぎつつこの峠を越えたのであろうか。
 実は私は密かで熱烈な秘湯ファンで、今回もせっかく九州に来たのだからと、昨日、今夜の宿を垂玉温泉に頼んでみた。しかしあいにく今日は土曜日のせいか「おかげさまで満室です」と断られてしまった。その垂玉温泉も見えていた。
 今夜の宿は、幸い快く引き受けてくださった高森町の「ペンション ばあどこーる」である。
 
 
11月14日
阿蘇中岳登山
 ペンション・ばあどこーるの奥さんにおいしいみかんをたくさんお土産にいただき別れを告げた。
 阿蘇の雄大な景色を楽しみながら上り、阿蘇山ロープウェーで火口までいく。あいにくの曇り空で、火口は濛々たる噴煙をあげ時折火口湖の青を覗かせた。私たちは砂千里の道を中岳に向って歩いた。木道でドイツ人の青年に出会ったので「この道を辿れば中岳にいけますか」と問うた。すると彼は「可能らしい。しかし、私は戻ってきた」と。なるほど山頂へは登らなかったのだな。彼以外に登山者はなかった。実は私たちも仙酔峡ロープウェーを使い1506mの中岳に登るつもりであった。その方がこちら側のルートより楽らしい。ところが仙酔峡ロープウェーはロープの摩滅のため運休中という。ガスの立ち込める中登山路を間違えないように注意しながら一歩一歩登る。かなりの岩稜である。ようやく辿り着いた稜線は濃いガスで視界が効かずすごい強風であった。危険を感じ山頂に立ったとて何も見えないと引き返すことにした。山頂まであと760mと出ていた地点であった。ここまで1時間半かかった。帰りは砂千里ケ浜を歩いた。ガスの立ち込める砂千里ケ浜は幻想的であった。よい気分で歩いていると不思議なところに停まっている車の中からマイクで呼びかけられた。「お客さん、そちらに行ってもロープウェーはもう止まりました〜」 已む無く登山路を歩いて下りた。
 草千里ケ浜では観光客がのどかに、馬に乗ったり歩いたりしていた。阿蘇火山博物館に入った。米塚を見、茫漠としたカルデラの中、阿蘇山の裾野の道を走った。阿蘇パノラマラインである。阿蘇五岳が釈迦が横たわる涅槃像の姿に見えて美しいという標高936mの阿蘇外輪山の最高峰大観峰へいく予定であったが、阿蘇五岳は昨日俵山から見たし、なによりこの天候では眺望もきかないしと止めにした。ここを越えていくと菊池阿蘇スカイラインを通り前に訪れた菊池渓谷は近い。仙酔峡も近いのだが紅葉の名所といってももうたくさんの紅葉を見たしなあとここもカット。
道の駅「波野」でP泊。神楽苑で夕食をとる。立派な神楽殿が造られていた。
11月15日
竹田へ
 まず岡城址を訪れた。岡城は、文治元年(1185)緒方三郎惟栄が源義経を迎えるため築城したと伝承される。天正14年(1586)から翌15年にかけての豊薩戦争に際しては、島津軍30700の大軍が岡城に襲来したが陥ちなかった難攻不落の城というだけあって、広大ですばらしいものであった。少年期、荒廃した岡城に遊んだ滝廉太郎は、この城のイメージにより「荒城の月」を作曲したといわれる。
 歴史の道・殿町武家屋敷跡を散策した。旧竹田荘、竹田創作館、歴史資料館はあいにく月曜日のため休館であったが、静かないい町であった。
 滝廉太郎記念館へいった。帰りのトンネルの中では、廉太郎の曲が流れていた。
久住高原
 日田往還、北滝ロマン街道を通る。瀬の本高原から見る九重連山はすばらしい。 このまま進むと憧れの秘湯黒川温泉である。ここでゆっくり1泊したい気持ちが強かったが、まだ午後1時、ハンドルを握る夫の気持ちは久住山に登ることしかなく、さっさとハンドルを切りやまなみハイウェーを走りはじめた。やがて牧ノ戸峠、明日ここから久住山へ登る。さらに進んで久住高原、飯田高原へ。長者原ビジターセンターは休館であった。硫黄山から轟々と煙が昇っていた。平成7年、320年ぶりに水蒸気爆発したとのこと。平成15年から付近の山は登山ができるそうだ。
 九重星生ホテル山恵の湯を楽しむ。ビジターセンター駐車場P泊。
11月16日
久住山登山
 早朝に牧ノ戸峠に移動する。久住山は、九重山の最高峰である。1788mで、これは九州本島で最も高い。深田久弥は「精鋭で颯爽としていて、さすが九重一族の長たるに恥じない」と言っている。
 登山道はよく整えられ登りやすい。少し苦しいのは最初の登りと山頂付近だけ。あとは窪地になっているような原を上り下りするだけ。人々に愛されている山らしくたくさんの登山者に出会った。山ははやくも樹氷で美しかった。枯れた花が氷の花になっており、朝日を受けて白くキラキラと輝いていた。星生山への分岐にきた。夫はこの山を越えたら昨日見た硫黄山の噴火が間近かに見えるに違いないと行きたそうであったが、それは帰りにとまっすぐ久住山をめざすことにした。避難小屋が見えるあたりで、イギリスとアメリカから来たという2人の青年と出会った。口琴を吹きながら一緒に歌った。
How many roads must a man walk down
Before you call him a man?
How many seas must a white dove sail
Before she sleeps in the sand?
How many times bust the cannon balls fly
Before they're forever banned?
The answer,my friend,is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.
How many years can a mountain exist
Before it is washed to the sea?
How many years can some people exist
Before they're allowed to be free?
How many times can a man tum his head
And pretend that he just doesn't see?
The answer,my friennd,is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.
How many times must a man look up
Behore he can see the sky?
How many ears must one man have
Behore he can hear people cry?
How many deaths will it take till he knows
That too many people have died?
The answer,my friend,is blowin' in the wind,
The answer is blowin' in the wind.
どれだけの道を歩けば
一人前と言われるのだろう
どれだけ多くの海を飛べば
白い鳩は砂の上で寝ることができるだろう
どれだけの弾が飛べば
争いはなくなるのだろう
友よ その答えは風に吹かれてる
その答えは風に吹かれてる
いったい山はどれだけ存在し続けるのか
海へ流されるまでに
いったい人々はどれだけの年月がかかるのか
自由になるために
いったいどれだけ顔をそむけたらいいのか
それを見ているのに
友よ その答えは風に吹かれてる
その答えは風に吹かれてる
何度見上げたらいいのだろう
空を見るために
いったいいくつ耳をもてばいいのだろう
人々の叫ぶのを聞くために
いったいどれだけの人が死ねばいいのだろう
彼が気づくまでに
友よ その答えは風に吹かれてる
その答えは風に吹かれてる
 久住山頂は快晴で心地よい風が吹いていた。そういえば九州でいくつもの山に登ったが阿蘇を除けばよい天候に恵まれたすばらしい登山であった。久住も360度の眺望、九重、阿蘇の山々、噴煙をあげる硫黄山の迫力に歓声をあげた。登るはずだった星生山へは反対側の登山路がわからず断念した。
 飯田高原に戻り、やまなみハイウェーを走った。なんとも言えず気持ちのよいハイウェーであった。
 湯布院の御宿一禅に宿泊した。
 
11月17日
鶴見岳へ
 湯布院は高級な温泉地というイメージが強いが、御宿一禅は、打ち水をして迎えてくれるようなひっそりと落ち着いた宿であった。旅の締めくくりとしては最適である。
 大分自動車道を走る。大分もなかなかいいところだ。別府に着いた。この後2日ほどかけて国東半島を熊野磨崖仏など石仏めぐりをする予定であったが、別府港を見た途端、疲れたし、ちょうど区切りもいいから今夜のフェリーで帰ろうということになった。
 旅の思い出に鶴見岳に登ることにした。といってもロープウェーを利用したので、1376mの山頂は歩いてもほんのわずか、登山というのもお恥ずかしい。多くの観光客が歩いていた。中には下から登ってくる人もあって、2時間ほどだという。私たちも歩いて登ればよかったなあ。山頂からは由布岳の端正な姿が目の前にあった。
明礬温泉
 湯の里でわらぶきの家族風呂に入った。なかなか風情があっておもしろかった。また、保養ランドで泥湯というのも体験した。ほんとうのところはちょっと気持ち悪い。
地獄めぐり
 別府にはたくさんの地獄があるそうだが、私たちは手近かなところで「坊主地獄」へ。
フェリー サンフラワーこばると
 関西汽船のサンフラワーこばるとは、7時に別府港を出航した。1等船室は4人部屋だったが客が少なく2人の貸切で快適。レストランの食事もおいしく、船旅もいいものだと実感。来島海峡大橋、瀬戸大橋、明石海峡大橋もそれぞれ見に出たが、橋に明かりはついているもののライトアップではなくて、往きの時ほどの感激はなかった。
11月18日
 船は、6時20分 大阪港に着いた。そして午前中に松阪に戻った。
 
 1ヶ月の予定であったが、27日間とやや短縮して無事に旅を終えた。
 自然はもちろん、たくさんの歴史、文化、人々に出会い、充実したいい旅であった。
 
最後に、この旅の間、車の中で最もよく歌った歌を紹介し、このページを閉じたい。
Oh, Danny boy,the pipes,the pipes are calling,
From glen to glen and down the mountain side;
Summer's gone,and all the flow'rs are dying;
'Tis you,'tis you must go,and I must bide.
But come you back when summer's in the meadow,
Or when the valley's hushed and white with snow;
'Til I'll be there in sunshine or in shadow;
Danny boy,Oh Danny boy,I love you so.
But come ye back when all the flowers are dying,
If I am dead,as dead I well may be.
You'll come and see the place where I am lying,
And say an"Ave"there for me.
And I shall hear,'though soft you tread around me,
And all my dreams will warm and sweeter be,
If you will only tell me you love me,
Then I'll sleep in peace,until you waken me.
 おおダニーボーイ
 いとしきわが子よ
 いずこに今日は眠る
 いくさに疲れた体を
 やすめるすべはあるか
 おまえに心を痛めて
 眠れぬ夜を過ごす
 老いたるこの母の胸に
 おおダニーボーイ
 おおダニーボーイ帰れ
 おおダニーボーイ
 いとしきわが子よ
 たよりもすでに途絶え
 はるかなその地のはてにも
 花咲く春はくるか
 祖国に命をあずけた
 おまえの無事を祈る
 老いたるこの母の胸に
 おおダニーボーイ
 おおダニーボーイ帰れ

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