六十日間北海道の旅 1
 1999年5月から2000年5月までの1年間を北海道で過ごした。2002年は2月〜3月の2ケ月を。そこで今年2003年は6月〜7月の2ケ月をと計画した。前2回の北海道長期滞在は2ケ月単位でコテージ・貸し別荘・コンドミニアムなどを借り、そこを拠点にしての滞在であったが、今回はキャンピングカーでの旅をしようと思っていた。しかし60日間キャンピングカーというのは到底無理である。毎日毎日今夜はどこで泊まろうかと考える。それに車の中や野外での食事はメニューが限られる。いささか疲れた。それでは折角の旅も楽しくない。結局60泊中キャンピングカーでは41泊に止まった。全走行距離は実に9873kmであった。

六十日間 北海道の旅 1
 今回の旅の目的は、北海道遺産(25)を訪ねる、山に登るカヌーで川を下る北の大地を歩く野天風呂に入る、秘湯の温泉に入る、松浦武四郎に関する碑や史跡を訪ねる、湖沼を訪れる、円空仏を訪ねる等々盛りたくさんの欲張った計画を立てていた。それだけに毎日毎日が充実はしていたがたいへん忙しかった。天候の悪い時もあり、円空仏は全く実現できなかったが、他は予定していたことをほぼ達成できた。
 「北海道遺産」については、項を改めて記録した。
 また「松浦武四郎に関するもの」と「湖沼」については、リンク集の「松浦武四郎を訪ねて」に詳しい。
 よかったら見てください。
  


2003年5月30日
 もう少し早く出発する予定であったがいろいろ支障がありなかなか発てなかった。がいよいよ念願の北海道への旅である。北海道出身の夫の友人は皆「なんでそんなに北海道がいいのだ」というが、北の大地は理屈なしでいい、なんどでも行きたい憧れの地である。それにしても北海道は遠い。午前6時出発する。松阪インターより伊勢自動車道へ、関から東名阪道、名古屋西から名古屋高速、清洲東で降りて、一宮から名神道、小牧から中央道、岡谷から長野道,更埴から上信越道、上越から北陸道、新潟ジャンクションから磐越道、郡山から東北道へと自動車道をただひたすら北へ北へと走り続けた。磐越道にはうす紫のキリの花がたくさん咲いて美しい。この夜は東北道の菅生PA泊。疲れた。実に走行距離825km。
5月31日
 東北道を青森へ。ここまで走行距離は1202km。青函フェリーに乗ると函館は豪雨との情報が入る。しかも着は18時30分。それは困るとフェリーの中で宿を予約。しかし函館に着くと雨は降っていなかった。これは失敗。
湯の川温泉 ホテル平成 しおさい亭泊
6月1日
 函館、ここから今回の北海道の旅が始まる。「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたわむる」とうたった石川啄木の像を通して今日向う函館山を見る。函館山の下にはこの地を開いた高田屋嘉兵衛(司馬遼太郎作「菜の花の沖」の主人公)の立派な銅像が建っていた。後日知り合った人に「函館山は夜景を見る山かと思っていたら全身に鎧を纏った要塞の山でした。」というと「何年生まれだ!」と笑われたが要塞(砲台跡)云々は北海道遺産の項に譲ることにする。函館山を登り歩いてみると、この山は聞きしに勝る花の山であった。ハクサンチドリ、マイヅルソウ、ノビネチドリ、オククルマムグリ、カラシナ、ミヤマトウバナ,ギンランなどが咲いていた。また頂上付近には「伊能忠敬北海道最初の測量地」の碑やトーマス・ライト・ブラキストンの碑などがあった。立待岬に下りる。なんともロマンチックな名だが、アイヌ語のヨコウシ(魚を待ち伏せするところ)に因むといい、津軽海峡を望む景勝地である。近くにある石川啄木一族の墓や与謝野寛・晶子の歌碑を訪れた。函館を離れ北海道最南端(北緯41度23分、東経140度12分)の白神岬(下北半島まで19.2km)を経て松前に入った。松前温泉休養センターで入浴し、車中泊。夜ホトトギスが鳴いていた。
6月2日
 北海道遺産福山城と寺町をゆっくりと散策する。寺町はしっとりと落ち着いたいい町である。しかし寒い。
 続いて同じく北海道遺産上ノ国の勝山城跡へ行った。墳墓が600基あるとのことで発掘中であった。その後夷王山の「北海道夜明けの塔」に登り、近くの夷王山キャンプ場へ入るが広々とした高原にキタキツネが走り回り、人間は私たち二人だけ。温泉に行こうと下りたら戻るのが面倒になってそのまま江差まで足を延ばす。明日奥尻へ渡ることにし、フェリー乗り場P泊。近くの江差温泉湯乃華で入浴。
6月3日
 1年間滞在したとき天売、焼尻、礼文、利尻の4島は訪れたのだが、奥尻だけは地震災害の印象が強く観光にはためらいがあった。めざましい復興と聞き今回渡ることにした。日帰りの予定で朝7時のフェリーに乗る。強風のため波が荒い。奥尻ハイヤーで昼食をはさみ4時間30分島内を一周してもらった。昼食は賽の河原でとれたての新鮮な魚貝の焼き物を堪能した。エゾカンゾウ、ハマエンドウ、オダマキ、大花ミミナグサ、ハマナス、シシウド、キリ、スズランなど花も多かった。元関取の旭道山が取材に訪れていた。画像は奥尻のシンボル鍋釣岩。
 江差に戻り、江差温泉湯乃華で入浴、合同庁舎P泊。
6月4日
 江差で「百印百詩の碑」を見る。姥神大神宮で若い神官さんから大神宮の由来や渡御祭のことを詳しく教えていただく。郷土資料館にも立ち寄った。
 熊石を経て雲石峠を通り、八雲町の鉛川温泉おぼこ荘で入浴する。天然温泉でたいへんよかった。ここにもキャンプ場はあったが、まだ時間も早く長万部まで足を延ばした。長万部公園キャンプ場にも早く着いた。きれいな公園で時間的なゆとりもあり、車中泊であるが入園料1000円を払ったせいもあり、久しぶりにゆったりとした気分になれた。
 
 
6月5日
 伊達北黄金貝塚遺跡を見学する。続いて昭和新山国際雪合戦大会の会場を見ようと訪れた。雪合戦が北海道遺産に登録されているため季節はずれとは分かっていたが、せめて何か資料なりとと観光案内所をたずねた。ところが「何もない!!」とのつっけんどんな応答に腹を立てる。ケーブルカーで有珠山に登る。
 オロフレ峠に着いたのは3時前であったが日も長いことだからと登ることにした。1時間30分で1230mのオロフレ山頂に着いた。ちょうどシラネアオイがまっさかりでエンレイソウ、オオバナノエンレイソウ、サンカヨウ、ツバメオモト、ハクサンチドリ、ミヤマダイコンソウなど花も多くそれはそれは美しい山であった。下りてきて「北海道の公共温泉」の本の中に・・・玄関を入ると、人のよさそうな管理人のおばさんが出てくる。何か「来てよかった!」と一瞬思う。・・・と紹介されていた壮瞥町久保内ふれあいセンターに行く。なるほど家族的な雰囲気だ。登山の疲れが癒された。道の駅そうべつサムズで車中泊。
6月6日
 苫小牧から支笏湖へ。そして秘湖オコタンペ湖を眺め札幌へ。旧札幌農学校第2農場へ行くためだ。普段は非公開だが運良く北海道大学が学園祭のため、公開されていた。ラッキー!!ポプラ並木も歩くことができた。次に小樽みなとと防波堤。ここでは小樽市港湾部の方がいろいろ資料をくださり写真を撮る位置まで教えてくださった。いよいよそこで5ケ月を暮らした懐かしい倶知安だ。雪どけの花の季節は終わっていたが、後方羊蹄山の雄雄しい姿もメルヘンチックな丘も畑も自然は相変わらず美しい。しかし建ち並ぶ店は閉ざされていたり、主が替ったりと3年間の変貌振りに驚いた。「年々歳々花あひ似たり、歳々年々人同じからず」(宋之問)の感あり寂しい。が知人、友人は相変わらず温かく迎え入れてくださった。ニセコひらふの泉郷コテージに宿泊。
 テレビでジーコが「日本人は創造力と実行に移す勇気に欠ける」と語っていた。私もよく似たことを思うことがある。夢はもつがそこから一歩踏み出す勇気に欠けるのではないかと。
6月7日
 倶知安町の白木建設さんで「松浦武四郎西蝦夷日誌の碑」を見せていただく。ふき出し湧水を見て、新見温泉へ。このあたりの温泉はどこも源泉100%ですばらしい。夜友人のログハウスでご馳走になる。泉郷で宿泊。
6月8日
 6月4日に屈斜路湖でカヌーの転覆死亡事故があったのを知った息子から「乗るなとは言わないが気をつけて!」とTELあり。親を心配してくれるとはありがたいことだ。
 長沼の道の駅マオイの丘公園で武四郎碑を見る。
 空知・旧炭鉱施設を見るために夕張石炭の歴史村へ。今回はここだけだったが、北海道にはこの他にもたくさんの産業遺跡があるそうで、それらも是非訪ねてみたいと思った。
 さらに二風谷へ。二風谷ファミリーランドオートキャンプ場泊。やはりオートキャンプ場は便利だ。びらとり温泉平取町老人福祉センターで入浴。
6月9日
 アイヌ文化博物館や萱野茂博物館を訪ねアイヌ文様アイヌ語地名の学習をする。松浦武四郎のレプリカがある歴史の道を歩いた。金成マツ,近藤重蔵、金田一京助等のレプリカもあった。その後義経神社へ行き、スズラン群生地へも行った。広さは17haとのこと。スズランは見ごろでたくさん咲いていた。日高を通り足寄へ向う。池田足寄間の自動車道が前日の8日に開通したとかで記念品をもらった。道の駅足寄湖泊。
6月10日
 足寄駅でふるさと銀河鉄道の話を聞く。前々から是非乗りたいと思っていた鉄道だ。来年は廃線になるかも。早く乗らなければ!足寄でラワン蕗のほ場を見る。近くにドームの頂上から流れ出る冷泉から炭酸カルシウムが沈澱しドーム状に成長した天然記念物シオワッカがあった。足寄からオンネトーへの途中に車を止め30分歩いて湯の滝へ向う。誰もいなかったので思い切って入った。少しぬるめだがなかなかの野天湯であった。帰り道でたくさんの人と出会った。グットタイミング。阿寒湖のコタンへ寄り、屈斜路湖へ向う。1年3ケ月ぶりだ。やっと着いた。懐かしい。いつも通りエメラルドレイク屈斜路湖のコテージに落ち着く。
6月11日
 屈斜路ではたくさんの友人が待っていてくれた。会って話して忙しい。
 別海の知人宅を訪ね、中標津の役場で根釧台地の格子状防風林の資料をもらい、開陽台に上った。川湯を通って屈斜路に戻った。エメラルドレイク屈斜路湖泊。
6月12日
 知人とあい、屈斜路湖畔に建てる予定の武四郎碑の話を聞いた。硫黄山と摩周湖へ行った。エメラルドレイク屈斜路湖泊。この3日間ですっかり元気を回復した。
 
 
 
 
 
6月13日
 前回訪れた時はまだ早かったので今回はどうかと東藻琴芝桜公園に行ってみた。芝桜はすでに終わっていた。残念。その年の気候にもよるし、花の命は短くて・・・時期を合わせるのはむつかしいものだ。
 北見のピアソン記念館に行く。その後北見の中ノ島公園にある武四郎碑を見に行った。ハッカ記念館にも寄った。
 今夜は東陵運動公園P泊
6月14日
 私たち夫婦は山にも登るし、街道歩きも回を重ね歩くことについてはかなり慣れている方だと思っていた。そこで北の大地を歩いてみるのも悪くないと、たまたまインターネットで見つけた大会に申し込んであった。この大会は毎年行われる北見、女満別、網走のツーデーマーチを今年始めて6日間連続して行うとのこと。題して「でっかいどうオホーツクマーチ」 今日はその第1日「ハッカの大地北見ツーデーマーチ」に参加した。20kmを歩く。私たちの歩きは、道端の草花を賞で風景を楽しみ、写真に収めながら歩くのを常とした。ところが全国から集まった今日の参加者800人の歩きは違っていた。驚いたことにさっささっさとわき目もふらず、写真も撮らずただただ歩かれる人が多かった。夫はといえばマイペース、ハーモニカを吹きながら楽しんで歩いている。ゼッケンに記したメッセージは「はるばるきたぜ 北見へ」私のは「声をかけてください 北見バンザイ!!」 ときどき小雨がぱらついたが、北見〜端野〜北見の20kmはまあまあの距離であった。疲れるだろうと宿が申し込んであった。信濃屋旅館。マーチの常連さんらしい客が多く旧交を温める会話が飛び交っていた。
6月15日
 北見の第2日 天候も回復し10kmという距離のせいもあるのか子どもの参加もあって昨日とは少し雰囲気が違う。「ハーモニカおじさん」の後を子どもがついてきた。北見の町を楽しみながら歩く。かって「強行遠足」の様子がテレビで放映されたことのある北見北斗高校の横を通った。
 北網圏文化センター内の博物館へ行く。
 明日のコースである女満別に移る。湖南荘で黒い天然温泉に入り、女満別野営場泊。ここの駐車場でも参加者の宴が盛んであった。車での参加者はこれも楽しみの一つなのだろう。網走湖に沈む夕陽が美しい。
6月16日
 「女満別メルヘンツーデーマーチ」今日は20kmに参加。メッセージは 夫「女満別バンザイ」 私「楽しみながら歩きます」 快晴で花も多くまさにメルヘンの名にふさわしくすばらしいコースであった。丘陵の畑と牧草地の中を行く こんな道ならもう一度歩いてもいいな。ホテル山水で入浴。昨日の温泉のすぐ近くなのに質が全く違う。ここの飲用泉は有名だとかでたくさんの人がポリタンクに汲んでいかれた。私にも2リットルのペットボトルをくださった人があった。
 女満別野営場泊。早朝すぐ近くで舟でシシミ採りをしていた。
6月17日
 今日はうれしい初孫の一歳の誕生日。「おめでとう!!和ちゃん!!」
 水ぶくれができたので水を抜きテーピングをする。女満別第2日は10kmを申し込んだので楽勝。参加者も割合少ない。そのうちにこのウォーキングの仕組みがだんだん分かってきた。20km以上でないとその距離が認定されないこと、参加者はトータルの距離によってランクづけされること。つまりどこをどう歩いたかではなく、距離そのものが問題なのだ。その意味では私たちは場違いなところに来たようだ。
 午後は網走に行き、道立北方民族博物館を見学。天都山へ上っていくとルピナスがたいへんきれいに咲いていた。明日は小清水原生花園の道を35km歩きたい。出発も早いので宿を申し込んだ。網走観光ホテルである。ここはかって司馬遼太郎が泊まったホテルである。
6月18日
 「オホーツクはまなすマーチ」35kmの出発は午前6時。ホテルでお弁当を作ってもらった。35kmというのはまだ歩いたことがない。足も水ぶくれがかなりひどくなっているし歩けるだろうか?でもこのコースを歩きたい。テーピングでぐるぐる巻きにし出発する。メッセージは 夫「命にかけて今日歩きける」 私「私が着くまで待っててね」 バスで網走からスタートの小清水町開基100年記念公園まで送ってもらう。バスの窓から見るともうたくさんの人がスタートを待たずぞろぞろと歩いている。私たちもまっすぐな長い長いじゃがいも街道をただひたすら歩く。とうとう道の駅「葉菜野花こしみず」に着く。ここから小清水原生花園を通る観光道路だ。鉄道も通っているし定期バスもある。前後を歩いていた人達の姿がどんどん少なくなっていく。リタイヤしたのだろうか。北浜駅を過ぎたあたりでとうとう一番後ろになってしまった。最後尾車がぴたりと後ろに付く。この車は途中でダウンした人を乗せていく。心配げに私たちにも声をかけてくださる。それでも私たちはマイペース。景色を楽しみ花を賞で3時で締め切りとなるゴールに3時15分に着く。最後尾車の小清水町役場の佐々木係長にはご迷惑をかけたが、すばらしい思い出ができた。この夜も網走観光ホテルに泊まる。
6月19日
 さすがに昨日は疲れたのでどうしようかと思ったが5kmを歩き締めくくりにすることにした。はまなすツーデーマーチの関係者の内匠英雄さんと楽しく話し、説明していただきながらゆったりと歩いた。この秋もう一度道東に来たいと話す。これでちょうど6日間で100km歩いたことになる。完歩バンザイ!カニ汁で祝う。
 午後 北方少数民族資料館ジャッカドフニを訪ねる。その後ワッカ原生花園へ。自転車で散策するがスカシユリ、キスゲ、ハマナス、センダイハギなどが盛りでたいへんきれいであった。夜は、HPで知り合った丸瀬布の女性と初対面。溌剌とした魅力的な方なのに驚く。初対面なのに時間の経つのもすっかり忘れて話に華がさく。北海道に来てよかった。すばらしい思い出になった。
 道の駅「まるせっぷ」泊。
 
 
 
 
 
 
6月20日
 丸瀬布のいこいの森へ行き「昆虫館」を見てから交流促進施設やまびこで入浴。山彦の滝へ行く。滝の後ろの岩がえぐられ入ることのできる裏見の滝である。そばにアイヌの人たちのイナウが飾られていた。留辺蘂へ出て弟子屈に帰った。美幌峠はすごい霧であった。 桜ケ丘森林公園オートキャンプ場泊。使用料が高いのが難のキャンプ場だ。
6月21日
 釧路市立博物館へ行く。何度か訪ねたがほんとうにすばらしい博物館である。釧路で知人の家を訪ねる。 道の駅「厚岸グルメパーク」泊
6月22日
 厚岸の水鳥観察館と霧多布湿原の琵琶瀬展望台へ行く。 湿原センターP泊。
6月23日
 霧多布湿原センターのフラワーツアーに参加する。帰りに火散布沼藻散布沼を見る。あやめケ原にも寄った。あやめ祭りをしていたにもかかわらず咲いていたのはまだちらほらであった。厚岸駅の近くの銭湯「喜楽湯」で入浴、たいへん熱かったのに驚く。番台のおばさんが笑いながら「涼んでからもう一度入ったら」と。それは辞退したがよかった。   道の駅「厚岸グルメパーク」泊。
6月24日
 インターネットで調べたら別寒辺牛湿原をカヌーで下るにはライセンスが必要で、それは水鳥館で講義を受けてとのことであった。しかし実際はインストラクターに案内してもらい話を聞くとライセンスがもらえるらしい。自分たちだけでカヌーをと考えていた私たちは残念ではあったが頼むことにした。たしかに別寒辺牛川は水量もたっぷりでゆったりと流れ周辺の景色も美しく小鳥も多くいた。9kmの川下りでライセンスもいただけたが少し物足りない想いは残った。厚岸郷土館、国泰寺、釧路の松浦郵便局へ寄り、和琴に戻った。三香温泉大露天風呂に入り、川湯温泉P泊。
6月25日
 斜里へ行った。役場で地図をもらい、津軽藩士の慰霊碑、史跡斜里運上屋跡、斜里陣屋跡と見て回り、以久科原生花園に行く。ハマナスには少し遅く、スカシユリ、エゾキスゲには少し早い。ニクル沼涛釣湖を見て、小清水リリーパークに行くが百合は8月とのこと、全くその姿はない。エメラルドレイク屈斜路湖のコテージに戻った。 
6月26日
 摩周湖の水が湧き出す「神の子池」に行った。湧き出た水は澄んだエメラルドグリーン、ほんとうにきれいだ。足を延ばして裏摩周を見に行く。午後は屈斜路湖畔でのんびりと過ごす。エメラルドレイク屈斜路湖泊。
6月27日
 足寄動物化石博物館を見て、ひがし大雪自然ガイドセンター、ひがし大雪博物館、鉄道資料館、糠平湖と回り、国設ぬかびらキャンプ場泊。キャンプ場にトイレのないのが難。富士見観光ホテル中村屋で入浴。
6月28日
 ひがし大雪自然ガイドセンターの方にめがね橋を見るツアーに連れていただく。北海道遺産の北十勝旧士幌線アーチ橋を見るためである。アーチ橋はたくさん残されている。三の沢橋、タウシュベツ川橋梁、旧幌加駅、第五音更川橋梁、さらに道路から三の沢橋と案内していただいたが、地図だけでは木が茂り、道も分かりづらく、自分たちだけでは到底見つけられなかっただろう。案内のおかげで要領よくしかも最適の観察ポイントに導いていただいた。タウシュベツ川橋梁はみごとであった。北海道遺産の項をご覧ください。下段の画像は旧幌加駅跡。かつてこのあたりに80軒、300人の集落があったという。ルピナスが咲いているのは人家があった証とのこと。昔を偲んだことであった。タウシュベツ川の流域は黒曜石の産地であった。今でも小さなかけらなら見つけることができる。上士幌に別れを告げ、東ヌプカウシヌプリへ向った。十勝平野から見ると、野の果てに聳える山と呼ばれるこの山はいつもその端正な姿を見せ、見るたびいつかは登りたいと憧れていた山だ。山へ行く途中で美しい駒止湖を見る。そしてとうとう念願の東ヌプカウシヌプリの頂上に立った。ゴゼンタチバナ、ウメガサソウ、オダマキ、キバナシャクナゲ、イワブクロ、イソツツジ、シラネアオイ、オオハナウド、ヒオウギアヤメ、ハクサンチドリと花も多かった。然別峡野営場の混浴の露天風呂に浴衣を着て入る。鹿追自然ランドキャンプ場泊。
 6月29日以降は「六十日間北海道の旅2」をどうぞ。

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