活動の幅を広げてくれた ネイチャースキー・歩くスキー 2

ネイチャースキー・歩くスキー 2


摩周湖 松浦武四郎碑を訪ねて
 スノーシューで碑のところまで登っていった。霧の摩周湖はあまりにも有名だが、冬の凍結した摩周湖もまたいい。真っ白な斜里岳の美しい姿が眼前に広がっていた。
 
桜ケ丘公園
 この年もここのコースや屈斜路湖畔・和琴半島などで歩くスキーを楽しませてもらった。弟子屈のたくさんの方々と知り合い、ツアーや登山に誘っていただいた。これも歩くスキーの賜物であった。
 
サワンチサップ登山
 3月10日 桜ケ丘歩くスキーコースで知り合った弟子屈の人たちに誘われて川湯エコミュージアム主催のスノーシューによる登山会に参加した。山頂付近のダケカンバの原生林の巨木がすばらしく美しかった。
 
第39回摩周樹氷探勝スキーツアー
 3月17日 夫は同じく弟子屈の方々の仲間に入れてもらってツアーに参加した。帰りにはみんなで温泉に入って楽しかったと大喜びであった。
知床自然センター 雪上ハイキング
 3月3日 この年もセンターの学芸員さんや斜里町教育委員会の方の案内でウトロと羅臼を結ぶ知床横断道路(積雪のため春まで閉鎖中)を横切り、広大な林と雪原の中をハイキングし、知床の大自然を堪能できた。眼下には流氷の海が広がり、後ろには真っ白な羅臼岳の勇姿があった。ヒグマの爪あとも見せてもらったしたくさんのエゾシカにも出会った。
 
チミケップ湖
 夏 神秘的なこの湖を訪れたことがあり、冬にも是非訪ねたいと思っていた。念願かなって秘境のたった1軒のホテルに宿泊することができた。屈斜路から津別峠は冬季閉鎖中なので、美幌峠を越え美幌の町から津別町を通って入った。湖の上を滑っていくと氷に穴を開けてワカサギ釣りをしている人があり一緒に釣らしてもらったりした。「クマゲラの鳴き声だ!」との支配人の声に一緒に飛び出したが見つけることができなかった。
 
旭川国際バーサースキー大会
 3月21日 2年ぶりに参加した。今回は私も夫とともに8kmに出場した。途中の要所要所に バナナ キャンディ チョコレート 牛乳等々が置いてあり、それを頂いて「そろそろ行こか」など夫と二人ゆったりと楽しんだ。かなりの人がそんな雰囲気であった。大雪山連峰もきれいに望め、大自然の中のスキーを満喫した。ゴールに入ると時刻入りの完走証を手渡してもらった。
 「ううん、満足満足」の一日であった。
裏磐梯高原クロスカントリースキーコース
 2000年5月半ば 北海道から故郷の三重に戻ってから1年7ケ月 実母の介護のため身動きがならず スキーどころではなかった。
 それでも2001年3月 母を3日間だけ見てもらって、仙台であった夫の同窓会に付いて行った。その帰り久しぶりに裏磐梯高原でスキーをはいた。ひんやりとした空気がなんとも心地よかった。これが本州での始めての歩くスキーであった。 
 
乗鞍高原
 2003年2月中旬の1週間 乗鞍高原で過ごした。「乗鞍高原国民休暇村」や「秘湯の宿みたけ荘」などに泊まった。
 その間 三本滝にいたる林道 一の瀬園地の中 いがやスキー場からの探勝コース またいがやスキー場から一の瀬牧場までなどいろいろなコースを歩き楽しんだ。
 私たちは山へ行くとき よくガスバーナー コッフェル 携帯食 コーヒーなどを持っていく。 この日も一の瀬園地の中のキャンプ場で昼食をとった。
 コースの後半、牧場のあたりが見晴しもコースも最高であった。
 「みたけ荘」で貸切の露天風呂に二人で入った。
 
蓼科 御泉水自然園
 3月に女神湖のそばの「四季の森ホテル」に宿をとり、蓼科牧場をゴンドラで登って自然園の中を歩いた。からまつの林がとても美しかったが、あまり歩く人もないのか道が少し分かりにくかった。鹿の足跡をたくさん見た。 
霧ケ峰スキーコース
 翌日のスキーマラソン大会に出るため会場の下見に出かけた。林の中を登ると突然展望が開け、私の登った富士山 八ケ岳連峰 アルプスの山々が一望できるすばらしいコースであった。大会のコースを設営してくださっていた人に聞いたら「今年は雪が非常に多い」とのこと。春夏秋 ツツジ ニッコウキスゲ ヤナギラン マツムシソウなどの花々を楽しんだこの高原はすっぽりと雪に埋もれていた。
 
霧ケ峰スキーマラソン大会で優勝  3月9日
 スキーマラソン大会が何たるかを全く知らずバーサースキーの楽しいイメージで、どさくさにまぎれてわっといけばいいと思いこんでいた私は「60歳代女子3kmか。これにする」と簡単に申し込んでしまった。
 ところが前日宿で60歳代女子は申し込み2人、しかも一人一人スタートするのだと聞いて驚き慌てた。当日受付けへわけを話し「棄権したい」とゼッケンを返しにいった。が「折角だから是非出よ。大丈夫、ゆっくり走ればよい」と受け取ってもらえない。覚悟するしかない。年齢順のスタートで70歳代の男の人が2人で私が3番。2番の人が「後の人の邪魔にならぬようにコースの端をゆっくりいけばよい」と教えてくださった。それでも緊張のあまり何度も何度もトイレに行く。
 スタートの機械の前に立ち、ツー ツー ツーと音が聞こえたときは心臓が破裂しそう! 後で夫が「それでもストックをちゃんと前に出していたぞ。知っていたのか?」 とんでもない。ストックが邪魔で機械の前に置いただけ。
 1km地点のあたりで2周目の2番の方が抜いていかれる。「その調子、頑張れ 頑張れ」と声をかけてくださる。2km地点で20分遅れでスタートされた40歳代女子の方に追いつかれる。「もう少しよ、頑張って!」とこれまた声をかけてくださる。
 多くの人に励まされて、とうとう無事ゴールする。ところがところが、私はなんと60歳代女子で優勝してしまったのである。もう一人の人が欠場でなんとこの部は私一人しか出なかったのだ。大きくて重い金メダルをもらってしまった。夫はきれいな富士山が見えたというが、私にはそんな余裕はない。でもいい大会だったなあ。
 途中で励ましてくださった伊藤純江さんのことをインターネットで調べたら、2002全日本スキーマスターズ大会クロスカントリースキー40歳代5kmクラシカル・フリー両種目ともの優勝者であった。なんとまあ。さぞかし私の姿を見ておかしかっただろう。声をかけずにはいられなかったのかな。でも気さくな方で私のメダルを心から祝福してくださった。
 万歳!生涯最高の思い出の日になった。
  挑戦しなければ何事も始まらない。

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