青春18きっぷの旅

青春してま〜す!
「青春18きっぷ」とはいうも恥ずかしい、むしろ81とした方がはるかに近い歳になって・・・しかし恐れるなかれこの切符は年齢制限がないのである。長時間乗車で少々お尻は痛くなるだろうが、運転に神経を遣わなくてもよい列車の旅もたまにはいいではないかと・・・
 とはいえ、乗り放題で5日間だが普通列車か快速列車のみの乗車。時間がかかる、乗換えが多い、その待ち時間も長い、従って宿泊回数が多くなるなどの不便は止むを得ない。その結果練りに練って行程は
 第1日 北海道木古内ー蟹田ー青森ー秋田
 第2日 秋田ー新庄ー鳴子温泉
 第3日 鳴子温泉ー小牛田ー仙台ー福島ー郡山−会津若松
 第4日 会津若松ー新津ー長岡ー越後川口ー十日町ー戸狩野沢温泉
 第5日 戸狩野沢温泉ー長野ー松本ー中津川ー名古屋ー松阪
 ちなみにこの切符は1人11500円、そして実際にその区間の乗車券を買うとすると、今回25060円       ・・・あららよく計算したこと・・・ということはかなり上手に利用したのじゃないかな。
 なによりリゾート(快速)列車をはじめとする車両のすばらしいことに驚き、快適で楽しい旅であった。そしてJRがなくてはならない交通機関であることを実感した。


3月5日
 青春18切符5日間で帰宅する予定で、まずは飛行機で千歳に飛び8ケ月ぶりの札幌へ。早く着いたので札幌市内をぶらぶら歩いて散策。時計台を眺めたり書店へ寄ったり・・・北海道ならではの本を見つけ、荷物になるのは困るといいながらたくさん買ってしまった。ディナーは、かねてから一度行ってみたいと思っていた佐藤水産直営のジュノーで海鮮フランス料理のフルコースを堪能・・・厚岸の昆布を使い、苫小牧のホッキ貝、根室の時鮭、知床のカレイ等々料理も対応もすばらしく楽しいディナーで大満足。駅近くのホテルサンルート札幌へ宿泊。
3月6日
 5日間では帰れないこともあり、たまには北海道のバスの旅もとこの日は札幌から函館まで長距離バスの旅。バスターミナルで北海道遺産展を見てバスに乗り込む。乗客は13人、大谷地で6人、ここから高速道をひた走る。北広島、恵庭、千歳、苫小牧、白老、登別、室蘭、伊達、有珠SAで休憩。残雪の北の大地の光景を楽しんだ。長万部、八雲で高速を降り、森・・・駒ケ岳はうっすらしか見えず残念、七飯で赤松街道を眺め、函館に着く。5時間あまりのバスの旅であったが快適、ただし動物の姿が見えなかったのは少し物足りない感があった。函館での1時間、市場などをぶらつき電車に。函館駅構内に「「きのうの敵はあすの友 箱館解放 1868年」と書いた陶板に彫刻された巨大な壁画があった。戊辰戦争のことなのだろう。函館湾をぐるっと周る電車は乗客も少ない。ただし通学電車になっていて1〜2駅間だけ学生さんがたくさん乗車。対岸に見える箱館山を眺めたり、渡島当別のユニークな駅舎に感心したり。1時間13分で木古内に着く。今夜の宿はホテル石川屋。
3月7日(第1日)
 朝、タクシーで木古内を廻る。先日テレビで放映していた寒中みそぎの佐女川神社やみそぎの浜を訪ねた。木古内にはこの他に木古内の坊、戊辰役戦場跡、サラキ岬に咸臨丸終焉の碑など見所があるらしいがそうも言っておられない。木古内駅には「北の大地の始発駅」という大看板が掲げられていた。なるほど、なるほど。「青春18きっぷ」は特急には乗れないのだが青函トンネルは特急のみなのでここは利用できる。ただし特急券を購入し自由席のみで。札幌発の「特急スーパー白鳥」であるが、木古内から乗り込みうまく座ることができた。列車は道内の知内に止まったのち青函トンネルへ。初めての体験で楽しみにしていた。トンネルは53.85km、そのうち海底部分は23.3kmで、最深部は140m、さらにトンネルはその下 100mに掘られている。スーパー白鳥はここを27分間で走り抜ける。当然のことながら、乗っている分には普通のトンネル。津軽半島に上陸したら、白鳥やサルが目に入った。「下北半島じゃないけど、こちらがわにも北限のサルがいた」と笑いあう。52分でスーパー白鳥本州側最初の停車駅蟹田に着き下車。ここで1時間20分の待ち合わせ。海岸のほうへ行ってみた。少し離れたところにフェリーが停留していた。「あああれは何年か前、このフェリーに乗って下北半島に渡ったことがある」と懐かしむ。ここは太宰治と義経、円空、文学と伝説と浪漫に触れる外ケ浜なのだ。とするとあのあたりがかの有名な最北の龍飛岬か、無論龍飛岬を訪れ唯一階段になっている国道を歩いたこともあるのだが。蟹田発各停は40分で青森着。青森駅でランチを。楽しみにしていた駅弁も乗り込むのが2時前ではちょっと。そこで1時間半の乗り継ぎを利用して。青森駅には少し小ぶりのねぶたが飾ってあった。
五能線経由リゾートしらかみ4号
 この旅で一番楽しみにしていた五能線。リゾートしらかみ号は快速列車なのだが全席指定でこの時期は3月の5,6,7の3日間しか走っていない。そこで1カ月前にこの指定券を購入してあった。青森から弘前に向かい、少し戻って秋田までの5時間7分の旅である。しらかみ号には3種類の車両があり、この4号は「青池」・・・ブルーの美しい車両である。中に入って驚く。通路より一段高くなったところにこれまたブルーのゆったりとしたリクライニングシート、なんともゴージャスなシート。足置きを出して足を伸ばす。座り心地もすばらしい。静かに走り出したしらかみ4号は、車窓に岩木山を見つつ弘前へ、川部まで戻り進行方向を変え五能線に入る。板柳、陸奥鶴田、五所川原から津軽三味線の演奏者が乗り込み生演奏があった。うら悲しい三味線の音色をのせ、車窓の雪景色や群れ飛ぶ鳥の姿を楽しみつつ木造、陸奥森田、鯵ケ沢と進みここで津軽三味線一行は下車。4月にキャンピングカーで訪れた時は暗くてよく見えなかった千畳敷にくると列車が徐行し、松浦武四郎が絶賛した景色をたっぷりと見せてもらった。深浦、ウェスパ椿山(ここでは駅前に不老不死温泉行きのバスが停まっていた。)十二湖、岩館・・ああ大河ドラマ「炎立つ」に出てきた館のあったところだ。ここでも徐行、景色の美しいビューポイントでは徐行し、車内案内が流れるのがなんとも嬉しい。あきた白神、能代、東能代・・・ここで再び進行方向を変え奥羽線に入る。八郎潟、追分を過ぎると終点の秋田である。はじめて訪れた秋田駅・・・美しい大きな駅だ。東北の駅ってすごいなあ。駅を出るとすぐ「菅江真澄の道 久保田城下・長野」の木標。「文政5年(1822)秋 虫の音を友として「久保田の落穂」を完成」と記されていた。そうだ秋田は菅江真澄の世界。真澄は7年の長きにわたってここ久保田城下に住まいしたという。その商店街を散策しつつ今夜の宿秋田キャッスルホテルへ。夜は、本格的なきりたんぽ鍋を堪能。きりたんぽってこんな高級料理だったんだ!
3月8日(第2日)
 ホテルのすぐ前が千秋公園(久保田城跡)である。立派な堀を大手門で渡り城跡を散策することにした。秋田20万石佐竹氏の居城で、天守閣と石垣のない平城である。東海林太郎の胸像と詩碑があり、さらに登った二の丸跡に若山牧水の歌碑、その横に佐竹史料館があったので見学した。石段を上ったところに、壮大な久保田城表門があった。これは久保田城本丸の正門である。本丸の玄関口として警備上からも重要な地点とされており、左手には門の警備と管理をする「御番頭局」、門の下手には侵入者を警戒する「御物頭御番所」を置いて厳重な守りを固めていたそうだ。門を潜ると本丸跡で美男におわす佐竹義堯公の銅像が立っていた。その上が久保田城御隅櫓。桜、ツツジの頃はたいへんきれいだそうだが、今はひっそりとしていた。さて秋田駅に戻る。駅で「なまけ者はいねがあ」「泣く子はいねがあ」のなまはげの出迎えを受ける。おもしろいのでパチリ。竿灯や秋田フキと秋田美人の像など飾りつけもすばらしい駅だ。ここから羽越本線で一路日本海側を下ってもよいのだが、東北の温泉も楽しみたいと鳴子温泉に寄っていくことにした。
 秋田から奥羽本線、40分で終着新庄へ。普通列車なら座席は横掛けだろうと思っていたが、昨日の蟹田から青森に次いで2度目。結果的にはこの旅を通して横掛けは4度だけであった。それでも始発で一番のり、例によって途中学生さんの乗り降りは多少あるものの総じて乗客は少なく悠々と座れる。大曲を過ぎ、後三年・・・古戦場と古代ロマンの里とあるから、後三年の役に由来する駅名なのだろう、おもしろい。鳥海山が見えるはずとのことだったがあいにくの雲。横手・・・驚くほどの豪雪地帯、プラットホームにも雪の山が。葦で編んだ雪囲いがおもしろい。次は月山だと期待したがこれまた雲に覆われていた。内陸部に進むにつれ雪はますます深くなる。湯沢、横堀・・・小野小町誕生地だとか。院内を過ぎたトンネルのあたりは今にも雪崩が起きそう。「また秋田へどうぞ」の看板が立っていたからいよいよ山形に入ったのだろう。山形県はじめの駅が及位(のぞき)・・・読めないなあ。真室川ではなぜだか駅舎に金の鯱が。そして新庄着。
 新庄駅には「湯めぐりと芭蕉の列車旅」と書いてあり、芭蕉と曽良だろう人形の旅姿が置かれていた。またここは交通の要所、陸羽西線、陸羽東線、奥羽本線、山形新幹線などの終着駅、始発駅なのである。改札を出てびっくり仰天、国重文指定の「新庄まつり山車行事」として上金沢町若連の巨大な山車が飾られていた。みちのくの爆発するエネルギーを感じた。新庄で1時間50分の待ち時間があったので、タクシーで市内を巡ることにした。最上公園(新庄城址)、串田孫一文学碑(雪国の春)、新庄藩主戸沢家墓所、原蚕の杜などである。ことに墓所は珍しいものであった。江戸時代最上一円を治めた戸沢家の墓所は「御霊屋」と呼ばれる。訪れた瑞雲院の土塁に囲まれた御廟所には、新庄藩11代の藩主のうち2代藩主を除く10代の藩主墓石が納まっている。御霊屋はいずれも総欅造りで、大きさは異なるものの単層宝形造り、石場の上に土台据え丸柱を建て、柱間に厚い板をはめこんで壁としている。床は石畳。全国に多数ある近世大名の墓の中で藩主とその正室や子ども、側室など一緒に葬られているのは極めて稀。
奥の細道湯けむりライン リゾートみのり
 リゾートみのりはしらかみ号に負けず劣らずすばらしい列車である。全席指定(この場合のみ指定券が購入できる)なので指定券を買う。これから陸羽東線を走る。
 さすが名だたる温泉郷、瀬見温泉、最上、赤倉温泉、奥羽山脈への登りをゆっくりとあえぎつつ上っていく。分水嶺は境田、ここから宮城県に入り、中山平温泉、列車は徐行し鳴子峡を見せてくれた。鳴子温泉には1時間で着く。ここで快適なリゾート列車を降りるのはなんだか勿体ない、終点の小牛田までこのまま乗っていきたいような!
 鳴子温泉の宿は今回「ねまりこの宿ますや」。宿で鳴子こけしの絵付けを楽しんだ後、前回の旅で泊った宿「ゆさや」の隣にある外湯「滝の湯」へ。やっぱり温泉はいい。 
 
 
 
3月9日(第3日)
 せっかく宮城県に入ったのだからここは仙台経由で行くことにする。昨日と同じ陸羽東線だが、リゾートみのりは1日1本なので残念ながら乗れない。「奥の細道」のマークをつけた列車に乗る。小牛田(こごた)までは1時間。鳴子温泉駅を出ると川渡温泉、白鳥の群れが飛び立つ。有備館、伊達の小京都(政宗まつり)の看板がある岩出山、雪はほとんどない。東大崎には東北最大の役所跡遺跡「名生館官衛遺跡」の説明板があった。遠くにうっすらと雪山が見えた。古川、東北新幹線への乗り換え駅だ。終着小牛田で降り、10分の乗り換えで東北本線快速仙台行きに。仙台まで30分あまりなのだが今回唯一込んでいる列車で、座席が1人分しかとれず、夫は20分間立つことになった。小牛田のあたりからちらほら瓦屋根が目につく。
 50分待ちでは何をすることもならず、夫は50年前4年間を過ごした懐かしい地の変貌をただ黙って見つめていた。仙台からは東北本線快速福島いき、仙台シティラビット2号に。名取、岩沼、船岡、大河阿武隈川沿いの桜堤がみごとだ。さぞかし桜が咲いたら美しいだろう。大河原には「一目千本」の看板があった。東白石でまた白鳥を見つけ、白石、桑折(こおり)には最古の銀山跡と書いてあった。伊達、そして福島。ここまでの所要時間1時間12分。4分の乗換えでプラットホーム反対側の黒磯いきに乗り換える。ところで私たちの荷物は、二人分の着替え等を入れたスーツケース、夫はリュックサック、私はノート、財布(切符)、洗面用具、カメラ、薬等々詰め込んだかなり重い手提げかばん。従って重いリュックを背負った夫がこれまた重いスーツケースを引っぱってくれることになる。これでも1週間の旅行となると最低限のつもりなのだが。それをこんなに多い乗り換えの度、網棚に。夫は黙っているがこの重労働に辟易したことだろう。すみません、ありがとう!福島から郡山までの50分間は3度めの横掛け。松川、あの松川事件の松川なのだろう、小さな駅だ。安達、二本松、楽しみにしていた山は曇っていて見えない。本宮、五百川、とうとう雨が降ってきた。そして郡山。40分の待ち時間の間に、お昼には遅い時間だったが待望の駅弁を1つだけ買った。その名も「みちのくおむすび道中記」、なかなか趣がありおいしかった。郡山からは磐越西線の快速に乗車。駅弁を食べつつ喜久田、磐梯熱海、西に向うにつれ雪景色になってきた。猪苗代、磐梯町、1時間10分で会津若松に着く。駅前フジグランドホテルに荷物を置き、雪の中を町に出た。ここは駅と城下がかなり離れているらしい。タクシーで福島県立博物館へ。人影はないが立派な博物館をじっくりと見て周った。画像は博物館入り口のものである。またタクシーで白虎隊士の像と赤べこの待つ駅前に戻り、ホテルで珍しく中華料理を。その後、ホテルと同系列経営の「富士の湯」へ。ここもなかなかのよい温泉であった。
3月10日(第4日)
森と水とロマンの鉄道 磐越西線
 今日は乗り換えも多く日程びっしりの鉄道の旅であるので、8時12分発の列車で新津へ向う。ほんとうは只見線、雪深いところを走るさらにローカルな列車に乗りたかったのだが本数も少なくどうもうまくいかない。塩川、「蔵のまち」喜多方、山都、雪が深くなってきた。3両編成だが乗客はあわせて3人。野沢、単線になったのかここで28分間の停車、乗務員さんも降りてしまったので、私たちも・・・ 「会津西方の霊域 大山祇神社」の大きな看板が立ち、駅前は宿場町のおもかげ、道祖神が立つ。駅舎には郷土民芸品がたくさん並び、「SLばんえつ物語号」の横断幕も。再び走り出す。阿賀野川は誠に大河で沿線を悠々と流れている。徳沢でも6分停車。鹿瀬、津川でも18分停車したがおもしろい駅であった。津川は「狐の嫁入り行列の似合うまち」だそうだ。大きな横断幕がかかげてあったから、それにちなむ行事でもあるのだろう。ここでバス4台分の団体客が乗り込んできた。次が三川、「阿賀野川舟下り発着所」とあったから、ここで降りた団体客は舟下りでもするのかと思ったが、最前のバスが待っていたからそうではなくて、バス旅行の途中1駅分だけ高いところを走る列車の中から阿賀野川の景観を愛でていたのだった。五十島でも10分待ち、なんとものどかだ。馬下までくると雪はすっかりなくなった。五泉、そして新津、3時間25分の旅であった。
 新津からは信越本線で1時間長岡へ。新津も大きくて立派な駅である。信越本線「くびきの2号」に乗る手もあるが温泉でもう1泊したいと。ここで「まさかいくらなんでも寿司」というユニークな駅弁を買った。ま(鱒)、さ(鮭)、か(蟹)、そしていくらのちらし寿司である。座ってばかりでおなかもすかないので1個買い、2人で分けて食べたがおいしかった。東三条、大口れんこんの押切に停まり長岡へ。 25分待ちで上越線水上ゆき普通列車に乗り、越後川口まで。宮内、越後滝谷、小千谷、またまた雪の多い地域に入る。越後川口には25分で着いた。すぐにまたまた乗り換え飯山線に。豪雪地帯である。トンネルも多い。越後岩澤のあたりでは線路の両側が雪の壁になっていた。雪野の中を流れる魚野川が美しい。有名なこしひかりの米どころ魚沼中条、乗ること25分十日町に着く。十日町では1時間半の待ち時間があったので、タクシーで十日町市博物館へいった。パンフレットには「火焔の都・十日町 雪と織物と信濃川」とあった。笹山遺跡出土深鉢形土器57点が国宝に指定された。そのすべてが特設展示されており、中でも火焔型・王冠型土器はすばらしく圧倒された。また、アンギンは縄文時代以来の編布で、十日町織物の源流だそうだが、特産越後布・越後縮の制作行程が詳しく展示されていたのが私にとって誠に興味深かった。十日町の駅に戻るとプラットホームにはうず高い雪の山があった。始発で電車はもう停まっていたのですぐに乗り込む。飯山線長野ゆき、通学列車のようだ。列車は信濃川沿いに走る。越後田沢や津南で学生たちがたくさん降りる。足滝を過ぎると長野県、長野最初の駅は森宮野原である。深い雪の中にひっそりとたたずむ集落が美しい。生活するにはたいへんだろうが。横倉のあたりで車窓に兎を、信濃白鳥でキジを見つける。1時間半で戸狩野沢温泉駅に着く。バスで20分、今夜泊る「野沢温泉 四季の宿 河一屋(こぶしの湯)」へ。夕食のあと外湯めぐりをした。麻釜、大湯、河原湯、熊の手洗湯、上寺湯・・・温泉三昧とはこのこと。画像は大湯である。
3月11日(第5日)
 バスで戸狩野沢温泉駅に行き飯山線の列車に乗る。信濃平、北飯山、飯山、蓮の駅の近くにオレンジ色の鮮やかな屋根の大きなお寺があった。信濃川が流れる。上今井のあたりまで来ると雪はない。りんごの産地豊野からは篠ノ井線となった。三才、そして長野へ着いた。(約1時間) 30分の待ち合わせで篠ノ井線快速「みすず」で松本へ。川中島、篠ノ井、稲荷山で3分時間待ち、姨捨では線路切り替えのためかバック、おかげで下に開けた棚田や町の美しい景観をばっちりとカメラにおさめる。冠着(かむりき)、聖高原の雪景色がきれいだ。駅に観音像が建っていた。坂北、西条、明科(あかしな)、田沢では北アルプスは雲の中で残念。松本までは1時間10分であった。
 松本ではちょうど2時間ある。何度も行ったことがあるが、久しぶりに松本城へ行くことにした。雪の中の松本城、急な階段をふうふういいながら天守閣の上まで登った。あいにく山々はぼんやりとしか見えなかった。
 松本からは中央本線で中津川へ。このあたりの道路はかって知ったるところ。塩尻、木曽平沢、奈良井で5分停まって薮原、御嶽山だろうかまっ白な山が見える。木曽福島、上松、空木岳登山口のある倉本、須原、大桑、十二兼、南木曽、田立、坂下、中津川へは2時間20分かかった。程なく中央本線の快速が入ってきた。4度目の横掛けである。恵那、瑞浪、土岐市、多治見、春日井、勝川、名古屋まで1時間20分。すぐに関西本線、伊勢電鉄、紀勢本線を走る「快速みえ」に乗り継ぐ。1時間15分だが、あいにく満席で桑名までの25分間は座れなかった。とうとう松阪駅に着いてこの旅も終了した。ああそれにしてもほんとうに楽しかったけれど、長い長い列車の旅であった。 

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