理事長就任のご挨拶

 

一般財団法人三重同工会理事長

山川隆志 (化63、昭和41年卒)


 

 三重同工会理事長就任にあたり一言ご挨拶申し上げます。

 3年数か月にわたる新型コロナウィルスの感染拡大という、未曽有の災禍の中、会員の皆様におかれましては大変なご苦労はいかほどかと拝察いたします。

 しかしながら、近頃終息の兆しが見えてきて少しほっとするところではありますが、まだまだ予断を許さない状況が続きます。皆様にはしっかりと感染対策をされて、通常の生活を取り戻していただきたく願っています。

 さてこの度、6月11日母校松阪工業高校「赤壁」資料館にて、4年ぶりとなる役員の皆様が一堂に会しての、(一財)三重同工会定時評議員会・臨時理事会及び(従前)三重同工会総会が開催されました。その席上、永年同工会運営の活性化、発展に寄与されました柏木隆雄理事長のご勇退が発表され、後任として不肖私が理事長職の大役を仰せつかりました。まさに身の引き締まる思いでございますが、お引け受けしましたからには、精一杯その責務を果たすべき努力致します。

 柏木前理事長には、スピード感のある行動力と課題への対応、強力なリーダーシップを発揮していただきました。永年のご尽力に感謝申し上げます。

 また、「同窓会の役割は何といっても、同窓生の情報交換と懇親に尽きる」と、地元の関西支部はもちろん、遠くは九州支部、東京支部をはじめ各支部の総会・大会・交流会等に積極的に参加され、支部会員と交流・親睦を図られ、支部会の発展、活性化に指導力を発揮して頂きました。私もその意思を受け継ぎ支部会へは進んで出席いたします。また、「人生をこよなく愛し、人を愛する」は前理事長を評した言葉です。そのような松阪が誇るべき文化人であられますが、理事長を退任されても理事としてお残り頂いて、私の良き相談相手としてご指導・ご協力を賜ります。どうか宜しくお願い致します。

 さて、近年盛んに言われるようになりました、「人生100年時代」の到来があります。人間の寿命が今後も伸びていくのは確実で、それに伴って私たちが働く期間も長くならざるを得ないと言われます。そこで今必要なことは「学び直し」ではないかと思っています。「学び直し」は今後の人生を楽しくするためのもので、孤独に学ぶのではなく、異なる年代や業種の人々と交流することで、これまで出会うことのなかったものの見方を知ることが出来ます。同工会各支部では、いろいろな世代が同じ学び舎で過ごした日々を根本として、話題が広がり、相互に親しんで、それが日頃の活動に力を与える場となっています。会員の皆様には各支部活動へご参加頂き、共に「学び直し」をしようではありませんか。

 各支部の役員の皆様には、コロナ禍の中、支部運営にご苦労をお掛けしていることに敬意と感謝を申し上げます。やむなく中止をせざるを得なかったことの判断、胸中お察しします。今年度からは状況が許される範囲で、会員の皆様との親睦・交流を深める会を再開して頂きたく存じます。よろしくお願いいたします。また、会員の皆様で支部会にご参加を希望され、連絡先が分からない場合は事務局へメールでお問い合わせください。対応させていただきます。

 福井輝夫副理事長・伊勢支部長、鈴木充専務理事には引き続きお世話になり、新たな副理事長に理事・松阪支部長の米倉芳周さんにお願い致しました。福井・米倉両氏には母校の地元支部長として、近年の地元就職志向が強い若い世代の方々の支部活動への参加に手腕を発揮して頂けると確信しています。そして至らぬ理事長を補佐して頂き、共にこれからの同工会のより一層の発展と母校の隆盛・工業教育の発展に邁進してまいります。

 最後になりましたが、会員の皆様の益々のご健勝を心からお祈りいたします。そして同工会活動への変わらぬご理解とご協力を重ねてお願い申し上げます。

略歴

 1948年久居市(現津市)に生まれる。工業化学科63回卒(昭和41年)

 同年、三重化学工業株式会社入社、社長、会長を経て、平成27年取締役相談役に就き、現在に至る。松阪商工会議所副会頭、松阪市第1期教育ビジョン策定副委員長、松阪市教育委員等を歴任。平成17年三重中京大学大学院で「学び直し」。
  


 



三重同工会理事長を退任するにあたって

柏木隆雄

  

 2013年の理事会で副理事長に選任され、2年後の2015年、5期10年の任期を終えられて退任される三好孝理事長の後を引き継ぐことになって、以来4期8年。傘寿にならんとする老骨を理由に退任を申し出て、無事理事会・評議員会の了承を得られ、次期理事長に山川隆志氏が選任された。いわば「たかし」から受け継いで、新たな「たかし」にバトンを手渡すわけで、両「たかし」氏ともに、松阪市に在住されて、地元三重県の政治、経済に大きな業績を上げておられる。山川新理事長は三重同工会が持つ豊かな可能性をさらに高め、社会変化による数々の難題を辛抱強く解決される十全の能力の持ち主であられる。フランス文学という、一般的に軟弱と思われている分野しか知らない者には少し荷が重かったのを、新理事長はみごとにリーダーシップを取って躍進していただけると期待している。

 以前の「赤壁」にも書いたように、松工卒業後に入社した住友金属の尼崎中央研究所在職中に大学受験して思いがけず合格、すったもんだの挙句に畑違いのフランス文学を勉強することに決めた。以後一人前になるまでに3年間担任だった河合明先生や松工の同級生たちから有形無形の励ましを貰い、ともかくも人並みの仕事ができるようになって、工業高校出身のフランス文学研究者という、いささか毛色の変わった人間と折々に話題にされ、私もまた教場や講演の場でそのことを、まさか得意気にではないけれど、話の枕に使うことが多い。いわば松工卒を売り物にしているようなものだから、三重同工会になんらかの恩返しをしてしかるべきだろう。そういう考えがずっとあって、関西支部長を始めとして、非力ながら、同工会執行部に名を連ねさせていただいた。

 懐かしい同期会や親睦の輪を広げて集う支部会など、三重同工会の活動の詳細は毎年発行の「赤壁」に明らかだが、それらもすでにある程度以前から超高齢化の問題を多く抱えている。30代、40代の卒業生たちをどのように活動に巻き込むか、また一般財団法人として、公益目的の活動をいかに有効に、かつ適切に行うか、など新執行部の方々にたくさんの課題を残したままの退任で、まことに忸怩たるものがあるが、母校、松阪工業高校の卒業生であることが誇らしくあるように、過去と現在そして将来を改めて振り返り、検証し、遠望すれば、新執行部および同窓生諸氏の叡智と能力とバイタリティーで、これは、きっと乗り越えられると信じている。

 副理事長として長年頼りない事理長を支えてくださった山川隆志、福井輝夫両氏に感謝するとともに、縁の下の力持ちの役を果たしてくださった太田幸男前専務理事、鈴木充現専務理事、また楽しく参加させていただいた東京、名古屋、鈴鹿、伊勢、志摩、関西そして九州の支部長および会員の皆様に改めてお礼申し上げる。まことに愉快で有意義な思い出をいただいた。退任にあたって理事会より松阪木綿藍染めシャツを恵与された感謝とともに、着用の写真を添えて三重同工会の新しい発展を切に祈って退任のご挨拶に代えたい。
  


 



校長挨拶

校長 村田 武俊

  

 三重同工会の皆様におかれましては、ご健勝にてご活躍のことと存じ上げます。平素は本校の教育活動に物心両面においてご支援を頂き、心から感謝申し上げます。
 1902年に創立され今年度で創立121周年を迎え、産業界や教育界のみならず多方面にわたり多くの優秀な人材を輩出している、歴史と伝統ある松阪工業高校の校長として着任し、早くも1年余りが過ぎようとしています。  

 まず、本校生徒を見て感じますのは、多くの生徒がしっかりとした目的意識を持って入学し、松工生として自信と誇りを持ち、何事に関してもまじめに取り組もうとする姿勢を感じるということです。このような生徒たちに、『赤壁魂』といわれる「学校生活を通して積極的に自己の人格を高め、勉学に励み、知識・技術を身につけ『社会に必要とされる人間になれ』」という松阪工業の精神をしっかりと継承すべく、生徒・教職員が一丸となって日々の教育活動に取り組んでいるところであります。

 さて、新型コロナウイルス感染症も5類感染症への移行により、これまで3年余りに及んだ感染症との戦いにも一つの節目を迎えることとなりました。学校教育活動も通常の活動を取り戻しつつある中、生徒たちは、「ものづくり」を通して専門知識や技術・技能の習得をめざし、各種検定試験や国家資格の取得に意欲的に取り組んでおり、第3種電気主任技術者試験の合格をはじめとして、全国高校生ものづくりコンテスト、あるいはロボット相撲等の競技会での活躍など、輝かしい成果をあげています。

 地域の子どもたちが減少していく中で、本校でも昨年度の卒業生をもってそれぞれの学科が1学年1クラスとなり、工業化学科・機械科・繊維デザイン科・自動車科・電気科の5学科5クラス体制となりました。今年度は、それぞれの学科の特徴を生かし、工業の基本である「ものづくり」を通して学科間の連携活動を積極的に行っています。具体的には、工業化学科の生徒が実習等で製造した「やしかり石鹸」を、その良さをより多くの人たちに知ってもらうために、繊維デザイン科の生徒にパッケージデザインを依頼し、松阪工業オリジナル「やしかり石鹸」を完成させました。また、地域貢献活動の一環として、みえこどもの城で開催された「サイエンスフェスタ」等のイベントにも参加し、地域の子供たちに「ものづくり」の楽しさを伝える活動も積極的に行っています。

 部活動等でも、本年度も高校生ものづくりコンテスト県大会では、「化学分析部門」(団体部)で昨年度に続き優勝することができました。また、男子バレーボール部が5年連続38回目の全国大会出場、レスリング部がフリースタイル55キロ・80キロで東海大会出場など、多くのクラブが全国・東海大会出場あるいは上位入賞をめざして練習に励んでいます。日々の部活動を含めた学校生活の中で、挨拶や身だしなみ指導を通して協調性や責任感、そしてマナー・礼儀の大切さを身につけており、これらのことが企業や地域社会から高い評価を得ています。7月1日から令和6年3月卒業予定者に対する求人が開始されています。今年度も三重同工会の皆様の活躍に支えられ、各企業から多くの求人をいただいています。地域における松阪工業の就職の良さは定評があります。これからも油断せず、しっかりと取り組んで参りたいと思っています。

 ロシアによるウクライナ進行に伴う世界経済の不安定化、対話型生成AIの出現とその飛躍的な進歩に伴って予想される産業構造の大きな変化や働き方改革など、松阪工業高校を取り巻く状況は日々変化しています。「不易流行」という言葉がありますが、歴史と伝統の中でこれからも継承していくものと、時代の流れの中で何を取り入れていくのかをしっかりと見極めながら、新しい松阪工業高校づくりをすすめ、三重同工会の皆様をはじめ企業や地域の方々の信頼を一層高めていきたいと考えております。  
 どうか、今後とも一層のご指導ご支援をお願い申し上げます。
  


 



技術は人なり

〜「近代化産業遺産」認定を受けた松阪工業高等学校の歩み〜

 

(当時)校長 花本 克則

 

 平成21年2月に経済産業省より、本校の資料館(赤壁校舎及 び旧三重県立工業学校製図室)が「地域活性化に役立つ近代化 産業遺産」(質量ともに豊富な人材を供給し我が国の近代化を 支えた技術者教育の歩みを物語る近代化産業遺産群)として認定を受けました

O「近代化産業遺産」とは
 幕末から第二次世界大戦の終戦前にかけての産業近代化の過程は、 今日の「モノづくり大国・日本」 の礎として大きな意義を持っています。このような産業近代化の過程を物語る存在として、全国各地には数多くの建造物、機械や文書などが今日まで継承されています。
 これらの「近代化産業遺産」は、 古さや希少さなどに由来する物理的な価値を持つことに加えて、国や地域の発展においてこれらの遺産が果たしてきた役割、産業近代化に関わった先人たちの努力など、非常に豊かな無形の価値を有しています。
 このため、経済産業省が、近代化産業遺産の価値を顕在化させ、地域活性化に役立てることを目的として、産業史や地域史のストーリーを軸に、相互に関連する複数の遺産により構成される「近代化産業遺産群33」及び「近代化産業遺産群続33」をとりまとめるとともに、個々の遺産について認定を行ったものです。
 本校が認定を受けたのは、続33のストーリーの内、「技術は人なり」をテーマとしたストーリー22「質量ともに豊富な人材を供給し我が国の近代化を支えた技術者教育の歩みを物語る近代化産業遺産群」の一つであります。
 右の認定書に示されているロゴマークは、基本的には、近代化産業遺産を象徴する「歯車」と「工場群の建造物」をモチーフにデザイン化されたものですが、「歯車」部分には、さらに、 我が国の近代化に取り組んだ人々の熱い思いを「太陽」に似せて表現し、そこから伸びる数本の線は、その熱い思いが、次第に近代化の「大きな流れ」に発展していく様を現しています。

O「近代化産業遺産」としての意義
 平成19年4月、経済産業省では産業遺産活用委員会を設置し、 我が国産業の近代化に大きく貢献した「近代化産業遺産」について地域史、産業史を軸としたストーリーを取りまとめるべく 検討を重ね、「近代化産業遺産群 続33」として取りまとめ、 構成する近代化産業遺産を地域活性化に役立つものとして認定を行いました。
 本校が認定を受けたストーリー22では、次のようにその歴史 的経過を述べています。

 「仮令当時為スノエ業無クモ人ヲ作レバ其人工業ヲ見出スベシ」(人を作ればその人が工業を作る)この言葉は、「日本工学の父」と称される山尾庸三が、技術者教育の重要性について語ったものである。
 欧米技術の導入を重視した明治政府は、1871年に工学寮(後に工部大学校と改称)を設立し、欧米に類を見ない独創的な技術教育を推進した。その後は、近代産業の発展とともに、官公庁や大企業の技官や上級技術者を育成するための大学工学部や工業系単科大学、生産現場で活躍する技術者を育成するための高等工業学校や工業学校などが相次いで設立され、近代技術の導入を支える広範な立場の技術者が育った。
 明治以降の産業近代化を支える現場の職工として工業に従事する初級技術者の育成は、実業学校の一種である「工業学校」や、各種学校の一種である「工業各種学校」が担った。こちらは公立・私立学校として設置された。工業学校は、足利などの絹織物産地の染織(染色)講習所を起源とする学校に象徴されるように、元は地域の軽工業や在来産業関連の学科を中心として構成されたが、高等工業学校と同様に、第一次世界大戦後以降は重化学工業に関連する技術教育へのシフトが進んだ。
 このような経過の中で、本校は全国で最初の応用化学に関する専門学科として、また、三重県での最初の工業学校として創設されました。そして、多くの優秀な研究者や現場での指揮・監督に当たる技術者を数多く輩出し、急速な産業近代化を支えてきました。
 卒業生の中には、博士号取得者や学会、実業界で活躍されている諸先輩方も多く、ファックス電送技術の開発で文化勲章を受賞した丹羽保次郎博士、奥田碩経団連名誉会長、坂口力前厚生労働大臣らの著名人もみえます。こうした著名人の資料も多く残され、技術者教育の歩みを象徴する校舎としてその意義は大きなものがあります。
 このストーリー22を代表する構成遺産群として、「工部大学校址碑」、「東京大学 工学部1号館」、「九州工業大学 バックトン引張試験機」、「栃木県立足利工業高等学校関連遺産」等とともに認定を受けたのであります。

 今回の認定を契機とし、歴史と伝統を受け継ぎ、次代を担う技術者の育成のために、更に一層、「ものづくり教育」の充実に努め、地域と共に歩んでまいりたいと思います。


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