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『 居場所 』


 「遅いな・・・九蓋さん・・・」

 廃ビルの壁にもたれながら、小さく呟いてみる。

 あの傀牙を利用すると言ったけれど・・・
 これから一体、どうするつもりなんだろうか。
 九蓋さんが傀牙を根こそぎにしたいと思う気持ちはよくわかる。
 九蓋さんは誰よりも傀牙を憎んでいるから・・・。
 でも・・・
 本部の指示に背いて大丈夫なんだろうか・・・


 もう、約束の時間から何時間過ぎただろう。

 私だってそんなに馬鹿じゃない。
 本当は、わかっている。
 わかっているけど・・・
 信じられない。
 ・・・信じたくない。
 私は・・・、
 九蓋さんに、置いていかれたんだ、と。

 そう思った瞬間、胃の辺りから、熱いものがこみ上げてきた。
 怒り?
 悲しみ?
 それとも、悔しさ?

 九蓋さんのパートナーだと思ってきた。
 昔はただの足手まといだったかもしれない。
 でも、今では、九蓋さんの役に立てていたと思っていた。
 九蓋さんに及ばなくても、何かの役には立っていた、と。
 
 九蓋さんは、いつも私を子供扱いしていた。
 「蒐集者に向いていない」と言っていた。
 腹を立てたこともあった。
 でも、本当はわかっていた。
 それが、九蓋さんの優しさだと。
 私を、あの血生臭い世界から遠ざけようとしてくれたんだと。
 怒りながらも、私は嬉しかった。
 いつも、私のことを気にかけてくれる九蓋さんが。
 私を心配してくれる、九蓋さんが。

 全てを失くした私。
 そんな私にとって、九蓋さんの傍は、私の唯一の居場所。
 私の存在する意味が、そこにはあった。 

 それだけじゃない。
 九蓋さんは・・・
 今の私の全てだった。
 尊敬できる先輩蒐集者。
 不器用だけど、いつも優しく見守ってくれる兄のような人。

 なのに・・・

 今度は瞼が熱くなった。
 心の中に渦巻いている想いが流れ出しそうになったので、グッとこらえる。

 悲しいんじゃない。
 悔しいんじゃない。
 だって、九蓋さんは、私を裏切ったんじゃないんだもの。
 私を嫌いになったわけでもない。
 私が邪魔になったわけでもない。
 そう、ただ、優しすぎただけ。
 
 でも・・・
 その優しさが、痛い。

 私がどうしたいか。
 私がどうすれば幸せになれるか。
 九蓋さんはわかっていなかった。
 だって、
 私は、九蓋さんの傍でずっと蒐集者をしていたかった。
 それが幸せだった。
 生きがいだった。
 九蓋さんが私のために、と思ってしてくれたことは、
 私にとっては、苦痛にしかならなかったのよ。

 ねぇ、九蓋さん。
 どうしてちゃんと言ってくれなかったの。
 どうしてちゃんと聞いてくれなかったの。
 どうして、黙って行っちゃったの・・・

 私が、頑固で意地っ張りで、
 九蓋さんの言うことをきかない子だから?
 それとも、
 黙って行っても、私が理解するとでも思った?

 目を閉じたまま、深く息を吸う。
 夜の空気が、熱くなった体の中をほんの少し冷やしてくれた。

 これから・・・
 どうすればいいの。

 九蓋さん。
 九蓋さん。
 ・・・九蓋さんの、バカっ!
 九蓋さんなんか・・・!
 九蓋さんなんか・・・

 「大嫌い」
 そう心の中で叫ぼうとした。
 でも、できなかった。
 だって。
 正反対だから。
 置いていかれても・・・
 それは変わらないから。
 変わらない・・・から。

 
 いつの間にか学校の前に立っていた。
 誰もいない校舎をぼんやりと見つめ・・・
 そして、ゆっくりと目を閉じた。

 九蓋さんが私に望んでいたことは・・・
 普通の女の子のように、
 普通の高校生活を送ることだったろうな。
 何となく・・・
 ううん。
 九蓋さんのことだから、きっと、そう思っていたと思う。

 でも。
 今更、私が、普通の女の子に戻れると思う?
 九蓋さんが、いないのに。
 私の傍には、もう、誰もいないのに。
 たった一人で・・・。

 「姫葉さん?」

 不意に声をかけられた。
 目を開いて振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。
 
 「菊岡さん・・・?」

 彼女、なんだか複雑な表情で私を見ている。

 「どうしたの、こんな夜遅くに、こんな所で・・・」

 落ち着き払った声が出た。
 別に、クラスメートの前だからって、平然とする必要もないのだけど。
 それに、彼女からすると、こんな時間にここにいる私も不自然よね。
 思わず小さく苦笑する。

 「あ、あの、姫葉さん・・・」
 「何?」
 「えと・・・変な意味で聞くんじゃないけど・・・」
 「ええ?」
 「幹人・・・、桜井幹人、どこにいるか知らない?」
 「は?」

 私はどんな顔をしていただろう。
 桜井幹人。
 あの傀牙の名前を聞いた途端、心の中に暗い何かが生まれた。
 それは、急速に私の心を蝕んでいく。

 「姫葉さん、幹人と親しかったみたいだから、何か知ってるかなって思って・・・。
 あのね、幹人のお母さんから電話があって、幹人、家に帰ってないらしいの。
 おばさんは、そのうち帰ってくるだろうって言ってたんだけど・・・
 幹人、ちょっと様子が変だったから・・・気になって・・・」
 「あんなヤツ知らないわよっ!」
 菊岡さんの言葉を遮るように、私は思わず怒鳴っていた。
 彼女は、一瞬、驚いたような目を私に向けたが、すぐに不快そうな表情を浮かべた。
 「姫葉さん。幹人とあなたの間に何があったかは知らないけどね。その言い方は
 ちょっとあんまりなんじゃない?」

 暗い何かが私の心を蝕むと同時に、
 私の中には別のものが存在していた。
 火傷しそうなほど熱く、激しく噴出しそうな感情。
 そんな感情とは裏腹に、
 大声で怒ったように言う菊岡さんを、
 私は冷静に観察していた。

 私が持っていないものを、彼女は全部持っている。
 彼女の周りにはいつも友達がいて。
 きっと、家には温かい家族がいて。
 いつも笑顔でいる彼女。
 彼女は、私とは違う。
 私とは、全く、違う。

 でも、彼女は何も知らない。
 桜井幹人が傀牙という化け物であることを。
 桜井幹人が人を喰う化け物だと知ったら、
 彼女、どんな反応をするかしら。

 あの傀牙さえいなければ、
 九蓋さんは規律違反をしてまで行動しなかったはず。
 あの傀牙さえいなければ、
 私は九蓋さんと一緒にいられた。
 私の中に、桜井幹人、いえ、傀牙への憎しみが膨れ上がってきた。
 傀牙さえいなければ、
 私は大事な人たちを失うことはなかった。
 傀牙さえ、いなければ・・・。

 傀牙は、私から全てを奪う。
 家族も。
 九蓋さんも。

 許さない・・・
 絶対に、許すもんですか・・・

 私が黙っていると、菊岡さんは言葉を続けた。

 「私は、幹人の単なる幼なじみなんだけどね。
 幹人は弱くてよくいじめられるけど、絶対に他人を傷つけたりしないのよ。
 自分のことよりも、他人のことばかり考えて・・・。
 バカみたいだけど、そういうヤツなの。
 だから、幹人と何があったか知らないけど、幹人は悪いヤツじゃないから・・・」

 菊岡さんの言葉に、何故か、ほんの少しだけ心が揺れた。
 けれど、その揺れは一瞬のことで、すぐに収まっていた。
 私の中にある感情は、そう簡単に消えはしない。
 そんなに簡単に許せるわけがない。
 そんなに、簡単じゃないのよ。

 無言のまま、睨み合いのような状態が続いていた。
 先に、ふっと目をそらしたのは菊岡さんの方だった。
 彼女は、遠くを見るような表情をして、ゆっくりと口を開いた。

 「昔・・・、小さい頃ね・・・
 幹人と私と近所の子たちで探検をしたの。
 今からすると大したことない森なんだけど、
 あの頃の私たちにはすごく大きくて広い場所だった。
 道に迷って迷子になって、夜になって暗くなって、お腹も空いて、
 怖くて、不安で、みんなわんわん泣き出しちゃったの。
 でも・・・
 幹人だけは全然泣かなくて、みんなを安心させるみたいに、ニコニコ笑ってた。
 それから、幹人は自分が持っていたお菓子を全部私たちにくれたの。
 自分以外の全員にね。
 自分だってお腹が空いてたくせに、「僕はお腹空いてないから」って言って。
 ・・・幹人って、高校生になっても、基本的にあの頃のままなんだよね。
 自分を犠牲にしても、他人を思いやるっていうか。
 私、幹人のそういうところ、すごいって思ってた。
 でも、他人を思いやることと、自分だけが我慢すればいいって思うのは、
 ちょっと違うと思って・・・
 私・・・
 幹人に、他人のことより、もっと自分のことを考えろって言っちゃったんだよね・・・
 本当はどうしたいの?って・・・
 私がそう言った時の幹人・・・何かいつもと違ってた・・・
 何かを決意したような感じって言うか・・・
 だから・・・」
 菊岡さんはうまく言葉をまとめられなかったのか、そのまま口をつぐんだ。


 「このまま何も行動せずに、いつか家族や友達を襲ってしまうくらいなら・・・
 少しでも元の体に戻る希望がある方を、僕は選ぶ!!」

 「僕は怪物にはならない! 心も、体も・・・」

 不意に桜井幹人の言葉が心の中に浮かんだ。
 あの時の彼の言葉は、
 確かに、本物だった気がする。
 人間に戻る方法があるかどうかなんて、わからない。
 ずっと傀牙にならないという保証なんてない。
 でも、九蓋さんが言っていたように、
 傀牙の衝動を自分の意思で抑えられるのは珍しい。
 少なくとも、今まで狩って来た傀牙は、身も心も化け物に成り果てていた。
 その衝動に抗うことができるなんて、思ってもいなかった。
 私は・・・
 傀牙の種が体内に入った人間を、一度も“人間”として見ていなかった・・・。

 その気になれば、彼は私を喰うことだって出来たはず・・・。
 私は、彼をまったく疑っていなかったんだから。
 でも、彼は私を襲わなかった。
 ただ、協力者のフリをして、自分の身を守るだけで・・・。
 ううん、違う。
 自分の身を守るだけなら、
 別の傀牙に襲われた私を見捨てて、逃げればよかった。
 放っておけば、邪魔な私を消せたんだから。
 なのに彼は、傀牙に向かって行った。
 自分が傀牙だとバレるかもしれないのに。
 あれは・・・
 あれは、私を助けてくれたんだ・・・。
 騙されたことが悔しくて、許せなくて。
 今まで、考えつきもしなかった・・・。

 「自分のことよりも、他人のことを考える」
 菊岡さんの言葉は・・・
 もしかしたら、正しいのかもしれない・・・。 

 傀牙に対する激しい憎悪。
 私にはない全てを持っている菊岡さんに対するわずかな妬み。
 今にも爆発しそうだった感情が、不思議と少しずつ薄らいできた。
 桜井幹人を理解してもらおうと、必死になって、力説する彼女。
 彼女の言葉が、桜井幹人を思い出させる。
 私が見えずにいた、いえ、見ようとしなかった、桜井幹人の姿を。

 私の中にある何かを吐き出すように、
 私は深く息をついた。

 「姫葉さん・・・?」
 「・・・私ね、ちょっとショックなことがあって、つい、八つ当たりしてしまって・・・
 悪かったわ、ごめんなさい」 
 私の言葉に菊岡さんはホッとしたように微笑んだ。
 「ううん。私こそ、ごめんね。ムキになって言っちゃって・・・」
 「・・・桜井君、多分、大丈夫だと思う」
 「え?」
 九蓋さんが一緒なんだもの。
 きっと・・・
 「姫葉さん、何か知ってるの?」
 「いえ、知らないけど・・・。ああ見えて、意思が強そうだから・・・」
 傀牙の衝動を抑えて、あれだけの決意ができるんだから・・・。
 菊岡さんは一瞬だけ考え込んで、嬉しそうに笑った。
 「幹人のこと、わかってくれてありがと。
 私もね、大丈夫だと思うんだ。
 何か事情があったとしても、幹人なら、絶対、大丈夫って」
 こんなに信じてくれる友達がいて、あなた幸せよ、桜井幹人君。
 「と、ところで、ショックなことって・・・どうしたの?
 あ、あの、話を聞くぐらいならできるし・・・」
 お節介で世話焼きな菊岡さん。
 今までだったら、きっと疎ましく感じだと思う。

 でも。
 今ならなんだか素直になれそう。
 どうしてこんな気持ちになれたんだろう。
 桜井幹人という傀牙に騙されて。
 九蓋さんに置いていかれて。
 最悪の気分だったはずなのに。

 私が信じている九蓋さんの優しさと、
 菊岡さんが信じている桜井君の思いやり。
 それらを信じることができそうだから・・・
 私の中にあった闇が、少しずつ晴れてきたのかもしれない。

 信じてみようと思う。
 九蓋さんのことはもちろん、桜井君のことも。
 信じてみても、いいよね?
 
 「あ、無理して言わなくていいよ。私、よく言われるんだ。お節介だって」
 あはは、と笑う菊岡さんに、私も小さく笑って見せた。
 「・・・失恋、みたいな感じかしら・・・」
 「え!?」
 「お兄さんみたいに慕っていて、すごく憧れていた人がいたの」
 「うんうん」
 「その人がね、私に黙って、遠くに行ってしまって・・・」
 「え〜っ。それは、ショックよね・・・。その人、姫葉さんの気持ち、知ってるの?」
 「どうかしら?すごく鈍感な人だから・・・」
 九蓋さんのしかめっ面を思い出して、私はくすりと笑った。

 これぐらいは、いいよね?
 憧れの人っていうのは、本当のことだし。
 私を置いてけぼりにしたんだから、
 これぐらいは言わせて。

 私・・・
 九蓋さんが私を必要とするまでは、
 ここにいようと思う。
 ここが私の居場所なのかどうかは、
 まだ、わからないけれど。
 少なくとも、
 ここでは、普通の女の子でいられそうな気がする。

 でもね、九蓋さん。
 もし、九蓋さんが私に助けを求めるなら、
 私は、いつだって駆けつけるわ。
 だって、
 私は、ずっと、九蓋さんのパートナーだから。
 新しい居場所ができたとしても、
 私のもう一つの居場所は、
 九蓋さんの傍だってことを忘れないで。

 それだけは、
 決して、忘れないで。


 (おわり)





■Daisyさんから頂いた小説♪
ご無理をいって、Daisyさんに書いて頂きました♪そしてさらに、掲載許可までお願いするという
厚かましいコンボをかましてしまいました。
図々しくてこめんさない。(しかし結果このオハナシを頂けたのだから自分を誉めてやりたい(笑)

Daisyさんのサイトは、コチラ▼
※サイト及び、ブログに二次創作物は置いてありません。

2005.05/15

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