のんちゃんは どんな子

我が家の宝  則道は、みんなから のんちゃん と呼ばれています

平成 3年 2月 14日生まれ

現在、のんちゃんは、まつさかチャレンジドプレイス希望の園を活動の中心に
のんちゃんママの勤める「生活介護事業所ほほえみ」や
主治医の宝積クリニックのデイサービスを利用して元気にのびのびと活動しています。

もっと詳しくのんちゃんの事、知りたい方はこちらへどうぞ
パンダさんの体験発表

 のんちゃんは、三重県立養護学校玉城わかば学園中学部へ入学し、高等部へと進学しました。現在は三重県立特別支援学校玉城わかば学園と校名が変わりましたが、先生方やクラスメイトと、のびのび楽しく学校生活を送り、平成21年3月10日に卒業しました。
              玉城わかば学園での様子はもご覧くださいね
                 のびのびわかば  
 
 平成3年2月14日生まれ、 のんちゃんは1月9日に成人式を迎えました
苦しい時も辛い時もありますが、とてもよき日を迎えられ幸せいっぱいです♪

今日の良き日を迎えられましたのは皆さんのおかげと感謝しています。
これからものんちゃんや仲間の応援よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

      
山中光茂松阪市市長さまから仲間の皆さんにメッセージを頂きました

ここでは のんちゃんの成長と私の心の変化を紹介します

のんちゃんファミリー

 のんちゃんは一人っ子です。お母さんお父さん、おばあちゃんおじいちゃんと5人で暮らしています。お父さんは、泊まりの仕事なので一日おきにしかいません。でも大好きなおばあちゃんとおじいちゃんと毎日いっぱいおしゃべりして、ドライブにつれてもらうのが日課です。お母さんとは、けんかする時もありますが、一番大好きです。のんちゃんは、歩くのと山登りが得意です。16キロくらいは平気で歩きます。山登りは本当は大嫌いだけどお父さんに連れて行かれます。でも登るとなったらお父さんより早く登りますこの日は家族全員で高見山1028 mへ登りました。   01/11/25



保育所にはいるまで

 のんちゃんは、立つのと歩くのが遅かったぐらいで、まさか脳に障害を持って生まれてきたなんて思いもよりませんでした。しかし2歳を過ぎても「たーたー。いーいー。」しかしゃべりません。それにじっとしていません。水平な物を見つけると、たとえば柵でも、テーブルでも何でもいいんです、タタン、タタンとステップを踏むように行ったり来たり、行ったり来たり、止まりません。食事中も動き回り、じっとしているのは寝ている時ぐらいでした。私は心の奥で のんちゃんは、元気がいいだけで、きっとしゃべれるようになる、きっと落ち着くだろうと、心に言い聞かせていました。

 

保育所での3年間

 のんちゃんは、情緒障害、多動症による発達障害と分かりました。でも私は信じられませんでした。それにきっと治ると信じていました。たくさんの子供と関わる事で、すこしづつ良くなるかも知れないと教えていただき、保育所に入れていただきました。私は、のんちゃんの障害から逃げるようにしていたので、のんちゃんの事は、妻や母にまかせっぱなしでした。保育所では、保母さんが、付っきりでのんちゃんを見てくれました。自分の意思を伝えられない、もちろんうんちも自分で出来ません。そんなのんちゃんに少しでも良くなるようにと、いろんな事に挑戦していただき、情熱ある取り組みをしていただきました。そんな保母さんの姿を知り私も少しづつ のんちゃんに関わるようになりました。そして年長の時、「てんてい」「ぞうたん」「ごぼう」など少しづつしゃべれるようになりました。





小学校 1年生 2年生

 小学校入学前になると、小学校の先生に体験入学や、入学の説明など何度もしていただきました。私は、その熱心さに迷わず養護学校ではなく地元の小学校に入学させる事を決めました。また障害児学級に入るのを機に、療育手帳を申請しました。障害児担当の先生は、落ち着くようにするため、持久力や、精神力を養うようにと歩くという授業に取り組んでくれました。この授業は のんちゃんには、ぴったりでした。歩く事は、その後の私達家族のポリシーになりました。歩く事で体力もつきました。また祖父母が毎日夕方、ドライブに連れて行き、のんちゃんが少しでも興味を示す物を見つけては、何度も何度も根気良くその物の名前を言って聞かせ少しでもしゃべれるようになると大喜びしてくれたので、のんちゃんも言葉の意味の通じる喜びを感じ、言葉数がどんどん増えました。そしてある出来事をきっかけに私の障害児のんちゃんに対しての閉ざされていた心は、一気に開き、新しい発見と感動の幸せの日々と変わりました。


小学校 3年生 4年生

 3年生4年生と担任が変わりました。3年生の時は、その変化に耐えられず随分先生を悩ませたそうです。しかし先生は障害児教育のベテランで確固とした信念のもと、深い愛情をそそいでくれました。そのおかげで言葉がつながるようになり、クラスメイトとも少しづつ関われるようになりました。またクラスメイトも のんちゃんにたくさん関わってくれるようになりました。この先生との出会いは、その後の私達家族の方向を大きく変える出会いとなりました。しかし先生は退職され、4年生は、初めての男性の先生となりました。4年生は、クラスメイトとの関わりを大切に考えて今までとは少し違った形で授業に取り組んでいただきました。そのかいあり のんちゃんもどんどんクラスメイトとの関わりを強めました。このころ多動はかなり良くなってきていました。


小学校 5年生 6年生

 4年生の時の障害児学級担任の先生の強い希望と情熱で、もう一人知的障害児の子供と のんちゃんを同じクラスにして、のんちゃんと この子を中心とした明るく、楽しく、思いやりのあるクラス作りに取り組まれています。先生はクラス担任に代わり、障害児担任は、また女性の先生に代わりました。先生は障害児教育は初めてでしたが、いろいろ研究され、一生懸命取り組んでくれました。この二人の先生の二人三脚体制で、のんちゃんもますますいろんな事ができるようになり、落ち着いて授業ができるようになりました。しかし6年生の時、障害児担任の先生は、転出され、また先生が代わりました。しかし今まで築き上げたクラスメイトとのすてきな関わりのおかげで今、のんちゃんは、この明るく、楽しく、思いやりのあるすばらしいクラスの中ですこやかに育っています。

        のんちゃんは、3月20日に6年間お世話になりました小学校を卒業しました。
        
         一年生の時はほとんどしゃべれなかったし、落ち着きがありませんでした。
        初めての授業参観のときは疲れて寝てしまいました。
        ママは毎日学校の教室まで送っていかなければなりませんでした。
        帰りは家まで先生が送ってくださいました。
        
         そんなのんちゃんでしたが、すばらしい先生方、心温かいクラスメイト、地域の人たち、
        そして障教振で出会った仲間達、宝の子供達、みなさまに支えられたおかげで、
        楽しく明るく有意義に過ごせた6年間でした。


         今、のんちゃんは入学した頃には想像も出来ないほどいろんな事が出来るようになりました。
        家庭では、笑いが絶えない毎日です。また仲間とのすてきな交流ができるようになりました。


         のんちゃんの障害から逃げていた父である私は、のんちゃんと先生方と宝の子供達のおかげで
        心の扉を開かせていただきました。今は、のんちゃんを授かった事に感謝しています。

         のんちゃんはこの心温かいクラスメイトと共に地元中学へ行こうとも考えましたが、
        人に優しさの種をまき、花を咲かせる力を持つのんちゃんに、ゆっくりゆっくり歩んでもらい
        着実にその力を大きく育てたいと考え、お別れするのは辛いけど玉城わかば学園に入学します

のんちゃんが小学校の時、2000年から2002年の間に仲間に発信した個人的な新聞です 
 情報発信プラス