第七回 「養心の会 三重」 7月例会のご案内

講 師 南 修治先生
「演題」
〜がんばらなくてもいいよ〜


日 時 平成16年7月23日(金)
時 間 午後 6:30開演
会 場 ウッドピア 木の情報館
住 所 松阪市木の郷町1番地
会 費 2,000円(講演会)
茶話会 1,000円(うちの茶の間)
南修治先生と語ろう会)

【南 修治先生のプロフィール】 
1957ー名古屋市に生まれる。1978ー結婚と同時にライブハウスなどで歌い始める。1981ー愛知県西三河で田舎暮らしを始める。1985ー恵那市に移り、丸太小屋を自力で建てる。1988−葉書通信を毎週書き始め、全国発送する。1992−不登校の子供との関わりが始まり、心の内面を耕す音楽を目指す。1993−子育てや人間関係に悩む人達と心を分かち合うコンサートを始める。1994−自転車に乗って旅をする「文明」コンサートを始め、97年までに全国各地で177ケ所のコンサート、13600Km走破。1998−筆文字を書き始め、葉書通信に載せる。保育士資格取得、通信制の大学入学。1999−アルバム、「生まれかわる時」発売。2000−カウンセリングルーム「ザァカイの木」設立、      カウンセリング講座を各地で開催。エッセイ集第4作目「心抱きしめて」刊
2001− アルバム「幸せになろうよ」発売 2002− 幼小教員免許取得、通信制大学卒業2003−子育てをテーマに書いた卒業論文をそのまま刊行 「愛されて育つ」10月に第二刷  2004−明星大学大学院入学「臨床家庭教育学」を専門として研究を続ける

岐阜県恵那市の山村で、生きるために必要な事の多くを手作りしながら暮らす。毎日の暮しの中の出来事や、コンサートを通しての出会いを、歌にたくし、直接心に届ける活動を全国各地で続ける。
中学高校で、子供たちへ勇気を与えるコンサート、子育て支援のコンサート、環境保護コンサート、仕事や生活の現場での活力を得るためのコンサートなど、テーマは幅広く、年間100ケ所コンサートと子育て支援の講座などで150回の講演をこなす。
コンサートや講演活動を通して出会った不登校の子どもたちや、子育てに悩む母親の相談に直接のるなどの活動も行い、一人一人の思い悩みと向き合うことも大切にしている。
98年に保育士の資格を取り、さらに02年に幼小教員免許取得。
現在は明星大学大学院に席を置き「臨床家庭教育学」を専門に研究を続ける

愛されて育つ                   南 修治 著
私は男3人女1人の兄弟妹の2番目として生まれた。兄と弟がいて、男3人は年子であった。男3人の年子ということはいつも熾烈な競争を余儀なくされる立場にたたされる。3つ離れた下の妹はいつも別格でまた兄も長男として大切に扱われていた。
 私は間に挟まれた2番目としていつも感じていたのは不公平感であった。洋服は上のお下がりが当たり前、親の注目はいつも一番上と一番下に向いていて、自分のために特別に何かしてもらったという経験はあまり記憶がない。一時期、ピアノを習うことを許されたくらいだったろうか。それとて、好きでやっていたのではなく、私の特性が音楽に向いていることを知っていた親が私に期待していたので、それに応えざるを得なかっただけなのだ。
 家庭は貧しかった。母は戦前に父親を亡くし、母親が再婚して親戚にあずけられるという子供時代を送っている。
母は私たちを厳格にしつけた。食事の時は板の間に正座させられ、箸の持ち方から挨拶に至るまで、ことこまかに母は私たちをしつけた。勉強もできて当たり前だった。小学校に入学してまもなく、勉強しているのかを確かめに来た時の鬼のような顔を今でも覚えている。兄が優秀で勉強が良くできたことが、できて当たり前という気持ちになって私にも向けられたのである。
 兄は小さい頃から勉強ができる優秀な子として認められていた。弟も小学校の高学年になると、めきめきと力を発揮して学力が伸びていった。中学枚の頃は学校で一番の成績をとっていた兄と、クラスで一番の成績だった弟に挟まれて私は劣等感を強く持つようになった。優秀な兄と弟は今、それぞれが大学の教授職に就いている。確かに二人とも勉強はよくできた。
 体格でも兄にはかなわなかった。私は一番背が低く、反対に兄は一番背が高かった。正反対だったのである。体力でも体格でも勝てない、勉強でも勝てない、親の注目は上と下に行くばかり、劣等感はますます大きくなり、親の望むようなことができなければ愛されないという思いはますます強くなっていったのである。そして、愛されるためか、私は様々な手段を選んだ。
 優等生の兄や弟と反対のことをやることが自分の生き甲斐だった。兄が言ったことをあえて批判したり、兄が望むものをわざと隠したり、みんなで作ったものをあえて破壊したり、陰でこそこそ悪さを繰り返した。たばこを吸ったりバイクを乗り回したり、高校に入ってからはひどい生活になった。シンナーにも手をそめ、マリファナも覚え、パチンコ屋に入り浸りになった。お金もないから万引きは生活の糧を得るための常套手段だった。身体の小さい自分は恐喝なんてできなかったのである。学校の成績は落ちるところまで落ちて、問題行動を責める学校にはいけなくなった。警察にもお世話になった。
 
愛されて子供は育つ
 自分の体験から、私は子供たちが心豊かに生きていくために必要なものは「自分が愛されている」と感じていることにあると思っている。しかし、「愛されている」と子供が感じることと、親が子供を「愛している」ことの間には、大きな隔たりがあることに気がつかなければならない。 母も私を愛していたはずである。愛していたが故に私を厳しくしつけようとしたのである。愛していたが故に、兄のように勉強ができるようになってもらいたいと思って、勉強のことを厳しく言ったのだと思う。しかし、愛は伝わらなかった。愛は伝わらなければ効果を示さない。
 そこで、ここでは愛について見ていきたい。愛とは何か、子供を豊かに育てる愛とはどのようなものか、教育者や哲学者の歴史的テーマと言って良いものである。どんな哲学者も、どんな文学者も、どんな心理学者も、愛とは何かを立証した人はいない。しかし、愛を体験した人はいる。愛とは説明ではなく実体なのである。だから、愛を論じる時には科学的な説明はいらない。本物の愛は説明ではなく実体にのみ存在するからだ。

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