講 師 秋永勝彦先生
「演題」 〜宮おこしと村おこしは同心円〜
村おこしの極意を学ぶ
日 時 平成17年11月9日(水)
時 間 午後 7:00開演
会 場 松阪市市民活動センター
住 所 松阪市日野町788
会 費 2,000円(講演会)
茶話会 1,000円(うちの茶の間)
(秋永先生と村おこしを語る)

【秋永勝彦先生プロフィール】
 昭和18年大分県生まれ。昭和40年国学院大学神道学科卒業。明治神宮に奉職。平成2年父親の病により明治神宮を退職し、郷里の雲八幡宮に帰る。一ヶ月半後、父親の死去により雲八幡宮宮司に就任。以来「宮おこしと村おこしは同心円だ」と過疎と高齢化で衰退する田舎の活性化に奔走、今日に至る。
趣味は雅楽の横笛。明治神宮を通じて宮内庁雅楽部の楽師に師事。現在、雲の森雅楽会を主催。雅楽の普及指導に当たっているほか多種にわたり文化活動を企画している。

     古民家の喫茶室・ギャラリー雲の森」

古民家を改造したフロアに、シンプルな杉の切り出しテーブル。奥まったところに火炎太鼓とピアノが並んでいる。龍笛は千晴さん、笙は万岐さんで、宮司は太鼓と琴。雅楽の演奏にしばし感動の時を過ごした。日ごろは、注文に応じて千晴さんが素敵な龍笛の演奏をしてくれる。「雅楽の生演奏が聴ける喫茶店」いつしか時間を忘れてしまう。
      宮おこしと村おこしは同心円

その歩み
1943年、耶馬渓町生まれ。中津南高校を出て国学院大学神道学科に進み、65年に明治神宮に奉職。70年に同じ九州出身の美代子と職場結婚。在職中に寺内タケシ(エレキギター奏者)や津川雅彦(俳優)と仕事を通じて知己になる。90年に父親・十勝が病気で入院。これを聞いてすぐに明治神宮を退職して帰郷した。十勝はその一ヶ月半後に他界した。
 
父・十勝の後ろ姿を見て
一般に神職は世襲制の傾向が強い。十勝は教職にありながら父の病気ですぐに教職を捨てて神職を継いだ。敗戦直後の神も仏も在るものか・・・・・・という殺伐たる時勢の中で神職だけでは生活できない現実に在りながら「兼職を潔しとしない」という精神で信念を通した。それはそのまま秋永に受け継がれた。そうはいってもこれまで職員1000人近い職場で幹部職員だった秋永にとって、過疎の町の寂れた神社を一人でやりくりするのは大変な苦労だった。しかも大都会と田舎の差は歴然としており、カルチャーショックは大きかった。

 やせ我慢の原動力は?  
 なにもいまさら辞めなくてもいいのに、という周囲の声を制して帰郷した。その決断は本音のところ「やせ我慢」だった−と秋永は正直に話す。しかし、損得抜きに戦後の精神の立て直しに頑張った十勝の姿に心を打たれ、進んでやせ我慢に耐えることにした。「過疎であれ、高齢化社会であれ、現実を見て逃避しようとするのは卑怯だ。とにかく行動しなければ」と、秋永は自分を奮い立たせた。行動の第一歩は神社の歳時記や身の回りのことをつづったミニ新聞「かしわ手」の発行だった。

 河童石像と河童太鼓   
 秋永の一貫した考え方の底流にあるのが「この土地の人々が生き生きと生命力を発揮できるように努めることが、神様にもっとも喜んでもらえることだ」ということ。この精神を秋永流に″標語″にした言葉が「宮おこしと村おこしは同心円だ」。ミニ新聞は各方面に反響を呼んだ。氏子が奉納してくれた「あ・うん」の河童石像が神社の正面を飾り、「こま犬の代わりにカッパが」と評判になった。また、地元に伝わるカッパ伝説の民話を素に、秋永自身が創作した「やばけい河童太鼓」は、地元の若者たちの参加を得て共に汗を流した。
 
 千年杉の雲の森コンサート
村おこしの反応をその手で、感触を確かめるようにつかんでいった秋永は、さらにビッグなイベントを企画して周囲をあっと言わせた。それは92年8月に催した「第一回耶馬渓雲の森コンサート・寺内タケシとブルージーンズ公演」だ。寺内は78年に明治神宮で「日本民謡大百科」を奉納演奏したが、それを受け入れ実現に導いた秋永(当時は普及課長)だった。寺内は秋永が退職する際に「いつか田舎の神社で演奏してあげよう」と言った。社交辞令と思っていた秋永だが、まさかその夢のような話がすぐに実現しようとは思ってもいなかった。
 鎮守の森にエレキギターがけたたましく響いた。一見ミスマッチと思えるような場面設定だったが、そうではなかった。野外ライブは1200人の聴衆で埋まり、公演は大成功。マスコミがこぞって取り上げ、過疎の町が注目を浴びた。
 その公演を裏で支えたのは「やばけい河童太鼓」のメンバーをはじめ多くの若者たちだ。募金活動から舞台の設営など裏方に徹して頑張り、その後、12回におよぶ「雲の森コンサート」の成功を陰で支えている。演奏会のプログラムはフルートや筝曲・能楽・雅楽など多彩なジャンルを網羅してきた。まさに過疎の町から全国に向けて「文化の発信」が続いているのだ。                     「大分 あの人この人」から抜粋  (文中敬称略)





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