第21回「養心の会 三重」9月例会

講 師 鈴木 中人先生

「演題」  〜いのちのバトンタッチ〜
いのちの輝き・家族の絆・自分を変える
日 時 平成17年9月6日(火)
時 間 午後 7:00開演
会 場 松阪市市民活動センター
住 所 松阪市日野町788
会 費 2,000円(講演会)
茶話会 1,000円(うちの茶の間)
(鈴木先生と人生を語る)

【鈴木 中人先生プロフィール】 
1957年愛知県生まれ。81年潟fンソー入社。92年長女の小児がん発病を機に、小児がんの支援活動等に取り組む。05年会社を早期退職し、『いのちをバトンタッチする会』を設立。いのちのバトンタッチをテーマに、いのちの輝き・家族の絆・良き医療・自分を変える・いきいき生きるなどを発信する。
NHKラジオ深夜便こころの時代にも出演。

景子ちゃんの発病、闘病、看取り、逆縁、小児がんの支援活動、凄い生き様の方々との出会いの11年を綴ったものです。いのちのメッセージを確信するまでの私の想いの軌跡です。
 
【表紙帯より】
「だいじょうぶ。 流した涙がきっと、感謝と幸せに変わるときがくるから」
「生きる力を求めるあなたに。」
「大切な人を失ったあなたに」
「いのちの輝きとの出会いの物語り」
「良き医療を願う患者・家族の本」
 
「いのちのバトンタッチ」(致知出版社)より抜粋

「お子さんは、たくさんの大切なものを託してくれました。お子さんの死を、意味あるものとして受け入れ、子供の分まで生きていきましょう。たくさん涙を流した分だけ、きっと幸せになれますよ」 
 02年12月。私は、小児がんで子供を亡くした家族の集いを、東海地区で初めて主催しました。そして、涙に沈むご家族達を癒すために、自分が大切だと想うことを自然に話していました。そこには、逆縁にもがき苦しんだ「私」は、もういませんでした。
 
 逆縁。子供に先立たれ、親が子供を供養することが、この世で一番辛く悲しいことだと言われます。私は、小児がんで長女(6才)を亡くしました。最愛の子供を救えず、生きる力を無くし、希望を見失い、涙を流してばかりいました。そして、世界で一番不幸な人間だと思い込んでいました。 
 そんな私が、どうして、家族の集いを主催し、たくさん涙を流した分だけきっと幸せになれると、自然に語ることが出来るようになったのでしょうか。
 私は、長女の発病をきっかけに、闘病、死別、逆縁、小児がんの支援活動、社会の一隅で凄い生き様を貫く方々との出会いの人生を歩んで参りました。その毎日は、苦悩・悲しみ・怒り・自責・希望・覚醒・感動・感謝の日々でした。

 その一つひとつが、不思議な糸で結ばれ、私の人生に、きっかけと気づきを積み重ねてくれました。そして、小児がんの子供達と凄い生き様の方々が、いのちのメッセージを私に託してくれました。
 それは、困難と限りある人生において、「生き抜く・支え合う・ありがとう」を、いのちの根っこにすることにより、生きる力を育み、幸せになれるということです。私は、その想いを確信したとき、新たな人生を歩み出すことが出来たのです。
 私は、この託されたいのちのメッセージを、生きる力を求める人に、大切な人を失った人に、病気と向き合っている人に、希望を見失った人にバトンタッチさせて頂きたいと想います。
 このサイトを通じて、たくさんの「いのちの輝き」との出会いが生まれればと想います。いのちの大切さ、生きる意味、家族の絆、人間愛、医療の原点を、一緒に考えてみませんか。
 私は、人生を知った者でもなく、専門家でもありません。今も未熟な姿で生きています。このサイトには、思い上がりや間違いも、多々あるかと存じます。
 しかし、あなたが出会う「いのち」は、大きく、純粋に輝いています。あなたに、感動と生きる力を、必ずバトンタッチしてくれます。

 「出会いが、人生を変える」と申します。あなたの人生において、小さなきっかけと気づきになりますことをこころより願っています。
2003年10月                           鈴木 中人拝




私たち一人ひとりは弱い人間です。しかし、皆で心の痛みを話し合うことで心が和らげられます。全国で2万4千人の子どもたちが「小児がん」闘っている訳ですが、今や治る割合は全体の6割〜7割ともいわれ、不治の病のイメージは薄れつつもあります。
鈴木さんは《いのちをバトンタッチする会》の代表として、子どもを亡くした一人の父親として、色々な場で「命のメッセージ」を発信しております。
鈴木さんの長女景子ちゃんは1992年8月、3歳の時に神経芽細胞腫という白血病に次いで二番目に多い小児がんを発病しました。治癒率15%と宣告された病気はその後奇跡的に回復し、一年半後には保育園にも通えようになりました。しかし、治療終了を決定するための最終検査で脳への転移が発覚し、手術の後には骨髄転移が判明し治癒不能つまり死の宣告を受けることになりました。その後小学校への入学も果たしますが、3カ月後の1995年7月、景子ちゃんは天国に旅立って逝きました。わずか6歳5ヵ月足らずの短い一生だったのですが、 鈴木さんは景子ちゃんから様々なことを教わりました。
「この子は死に向おうとしているのではなくて、生き抜こうとしているんだ。今を一所懸命生き抜こうとしてるんだ・・・・・」と。
自分の命について真剣に考えることが少なくなった昨今、景子ちゃんのメッセージから「現在から未来」へと『いのちをバトンタッチ』がされていくものだと考えます。       中居
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