第19回「養心の会 三重」7月例会

講 師 入佐 明美先生

「演題」  〜地下足袋の詩〜

効率主義から生まれた現代社会の忘れもの
日 時 平成17年7月8日(金)
時 間 午後 7:00開演
会 場 松阪市市民活動センター
住 所 松阪市日野町788
会 費 2,000円(講演会)
茶話会 1,000円(うちの茶の間)
(入佐 明美先生と語る会)

【入佐 明美先生プロフィール】 
昭和30年鹿児島県生まれ。姫路赤十字看護専門学校卒業後、播磨大塩病院勤務。その後、ネパールで医療奉仕活動をする岩村昇医師と出会い、釜ヶ崎でのボランティア・ケースワーカーとして働き現在に至る。
著書に『ねえちゃんごくろうさん』(キリスト新聞社)『いつもの街かどで』(いのちのことば社)『いのちを育む』(共著、中央出版社)がある。

ネパールから釜ケ崎へ
 私が中学二年生の時、1968年の秋のことです。
 何のために生きているのだろう?と、疑問がわいてきました。
 毎日学校へ行って勉強をして、一日三回の食事をして、夜になったら寝て、目が覚めるとまた一日が始まる、という繰り返しのなかで、ふと空しい気持ちがおそってきました。
 そんな時、当時ネパールで医療活動をしておられた岩村昇医師に深い感動を覚えました。
 栄養失調や結核で苦しんでいる人と共に生活し、医師として治療に取り組んでおられる姿が道徳の教科書にのっていました。
 自分もこんな生き方ができればいいなあ・・・・・。と思いました。
 その思いは時間とともに少しずつふくらんできました。
 こんな医師のそばで一緒に働ける看護婦になれたら。と願うようになりました。
 鹿児島の高校を卒業し、姫路赤十字看護専門学校に入学しました。親元を離れて、姫路で暮すことは心細いことでした。が、同時にこれから自分の人生を自分の手で築きあげていくんだという強い希望もありました。
 看護学校での勉強は授業や実習も多く、しんどい日もありました。試験に追われて、くじけそうになったときなど、将来ネパールに行くのだと自分に言い聞かせながら、がんばりました。三年間の勉強の期間を終え、資格を取りました。看護婦としては、二年九カ月精神科の病院で働きました。
 1978年の秋、岩村昇医師が一時帰国され、姫路で集まりがありました。生まれて初めて実際の岩村医師の顔を見ることができました。
 私はネパールに行きたいと、思いきって相談しました。
 「あなたはネパールに合いますよ。さっそく準備しなさい」
 初めて会っただけなのに、力強く言ってくださいました。私はうれしくてたまりませんでした。(中略)

 私は現在釜ヶ崎でケースワーカーとして働いております。
 今、私は思います。私にとってのネパールって場所では無かったんだと・・・・・・・。

  
ねえちゃんな、人間は本音をはける相手がいることが、いちばん大切なんや。

日雇い労働者の姿を通して描く現代社会の忘れもの。ボランティア・ケースワーカーとして18年間労働者の話を聴き続けた女性の釜ケ崎日記。

【目次】1.活動の原点(話ができるまで/共食い ほか)2.無縁仏(アパート捜し―平野さんの場合/古市さん語録―食べるということ ほか)3.目に見えない労働(存在そのもの―からだを張って生きてきたんや ほか)4.釜ケ崎学校入学(むだを繰り返すことの大切さ/声の絶対安静 ほか)
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