爺の覚え書き

10/03 NHKのネット配信
NHKの番組が1日からネットで配信されるようになりました。「NHK ONE」と言います。スマホやパソコンでテレビが見られるということです(もちろん有料視聴者対象)。早速アプリのダウンロードなど手続きをやって見ました。殺到していると見えてスムースにいきません。1時間ほどかかってやっといつもの番組をスマホやPCで見ることができました。画面も音もばっちりです。
スマホなどをテレビ受像機の代わりにしてとにかく番組を見る、ということと、会員登録して過去の番組を検索して視聴するなど便利な機能を持たせる、の2本立ての構造になっています。この辺が整理されておらずオロオロ。会員登録などしなくても課金制度で氏名など分かっているのですから、複雑なことはやめて以前のNHKプラスのように統合すべきす。
個人がいつでもどこでも自分だけのテレビを持つことになりますから、高齢者にはありがたいですね。眠れない夜中に居眠りしていた昼の番組を見ようが、自分の部屋なら音をどれだけ大きくしようが、文字化アプリ*を足せば耳が不自由でも問題なし、いいことずくめ。セリフが聞こえない難聴の爺が待ちに待った機能です。民放もやってくれないかな。(08:17)
* : Windows11 の文字化
スタート→すべてのアプリ(右上角)→アクセシビリティー→ライブキャプション→押し下げで、小さな文字枠(移動自由)が現われ起動しています。これでPCから出る音声は文字化されて枠内に表示されます。起動したらタスクバーにあるボタン右クリックでタスクバーにとめます。これでいつでも簡単に起動できます。AIで誤訳が少なくなり使い良くなりました。(10:51)
10/01 思い出の白い花
2018年だったから7・8年前の事、故人になられた隣のおじいさん(ご主人)から白い彼岸花を貰った。赤い花に並べて一緒に植えた。だが葉は繁らせても花は一度も咲かなかった。
そして異常猛暑だっ今年初めて花を咲かせた。まさに奇跡の彼岸花である。私どもに親身にして下さったいつも笑顔のお爺さんだった。この夏に老化激しい筆者を、元気を出せと励まして下さったのかも。(15:21)
09/30 本を読む
9月も末日になりました。朝8時、室温は23℃台で快晴、大変涼しくて半折りにした長袖シャツを着ています。猛暑に痛みつけられたこの身には夢のような清々しさです。自然は変化し続けます、改めて諸行無常の言葉を噛みしめています。
最近忘れているのが「生きるための読書」。慌ただしく緻密な気の抜けない現代の息苦しくなるような毎日。そんな世界と自分の放心の時間の間を漂流。そんな現代にあって自分を取り戻すのは読書の時間でした。自分を再発見し元気を貰い、生をつないでいく。本を読む、新聞を読む、紙の上の活字を読む。スマホなどネットの世界とは隔絶する確実な世界です。取材を重ね推敲し査読を経て世に出る活字本。本は極限まで誤りを廃した責任を負う世界です。自分の判断の根拠になりうる資料群です。
パソコンの絶対的な欠点は瞬時に削除できることです。パソコンも保存はできますが、それも意図的であれ過失であれ一瞬で消せます。この危うさが致命傷です。そうした文書に依拠して物事を判断するわけにはいきません。最近のサイバー攻撃を見れは一目瞭然。そうした緊張をクリアしてくれるのが活字文書です。まさに生きるための読書です。本を読まない人の話は信頼が揺らぎます。IT化した企業の危うさです。読書の時間を確保して指針を得る事、現代でこそ大切では。(08:45)
( 追加 ) 昼前に庭に出てびっくり、我家の彼岸花が咲いています。去年の写真を見ると10月4日に撮っていますから、去年より少し早めに咲いたことになります。おしべを伸ばし思い切り咲いているのが気持ちいいですね。例年並みの秋を迎えて、やれやれ。(13:35)
09/29 一万歩を歩けた
彼岸の墓参りが遅れ、やっとバスに乗って参拝に行ってきました。暑さで花はもとより花瓶の水もカラカラになっています。これだけ暑いと仕方ありませんが、仏さんには申し訳ないことです。早速掃除して花を挿し水をやりました。しっかり花を飾った無縁仏塔も合掌、百円の賽銭で寺の御本尊も参拝して終わります。さてと時計を見ると帰宅のための二つある路線の一時間に一本のバスがありません。体力の余力を期待して歩いて帰ることにします。
本通りへ抜けて町の中心までくると、もうバテバテ。30℃ほどありますから用心して喫茶店に飛び込みます。この喫茶店コーヒーが360円、値上げラッシュのいまどき?。後で分かったのは近くの食堂が赤字覚悟のサービスで提供しているためでした。店内に客はおらずリラックス、クーラーに当たり冷たいコーヒーを飲むと体も冷え、汗は引いて落ち着きます。喫茶店は寺から自宅までの中間点ではなく、わが家の方が遠い。頑張るか!と歩いてやっと帰宅。
寝る前、今日一日の合計徒歩数を見たらなんと一万歩を越えています。寺参りにスーパーへの買物もあったからです。体力を落としたコロナ以後一万歩を越えることはないだろうと思い込んでいましたが、できるんですね。歩く速度や歩幅を見るとまさにヨタヨタ歩き。もう少し余裕を持って歩けないか、課題です。(10:37)
(追加) 列島に沿う前線の影響で昼までは梅雨のような雨が降り続いたものの、午後は北の高気圧の範囲内に入ってスカッと晴れ渡り、風もあって青空、絵に書いたような秋日和。やっと季節が彼岸の頃の暦に追いついた感じです。猛暑の頃には今年の秋は到来するのか疑っていたが、間違いなく季節は巡る、です。生涯で一番待ちくたびれた秋としていつまでも記憶に残るでしょう。さあ英気を養いましょう。(19:22)
09/28 カウンタがない
このページの左上にあったアクセスカウンターが無くなっています。カウンターはこのブログスペースを無料で借りているMCTVのサービスでした。そのサービス提供が中止になったのです。カウンターが上がるのを生きがいとしていた筆者にとって断腸の思いですが止むをえません。
プロバイダーが提供するブログスペースは、全国的に縮小しており、ホームページ閉鎖を心配しています。私にとってもの(文章)を書く唯一の場ですから、長く残してほしいものです。ネット上で盛んなSNSは、その多くは広告まみれで金儲けに狂奔する場となり、論議もしばし物議をかもしています。そうした中でホームページは落ち着いた場であり、まともな知識や意見発表の場であり、社会の羅針盤であり地域の文化を支えています。この場が続くことは「爺の悲願」です。(06:26)
09/26 ガス台故障パニック
お粗末なドタバタ劇を一席。朝食のゆで卵を作らんと火にかけていたが、ものの1分ほどで「過熱しています」の警報と共にガスが消えます。何度やっても、他のコンロ口(くち)でやっても同じです。水は満杯、ガスの炎などに異常はありません。どうしたことか皆目見当がつきません。素人がやる最初にして唯一の絶対的な修理、そう電池交換!、やってみました。全く変わりません。憮然としたまま仕方なくガス会社へ電話。午後に来てくれるとの素早いサービスにホッ。
どのバーナも同じ現象ですか、とのガス会社の問いに「うん!」とひらめいた。過熱の安全装置には問題ないのでは。そこで念のためと思って鍋を降ろしてみた。これだ、鍋を重ねていたのだ。言わば二重底。小鍋にアルミのポット(切った野菜などを一時入れて置く入れ物)を重ねていた。普段は鍋には必ずその鍋の蓋をしてしまうのだが、蓋を使わなかったので洗った鍋の身と洗わない蓋が別々になった。そのせいでつい小鍋とポットを重ねてしまったのだ。しかも運悪く両者ぴったりで落ち着きがいい。そして明くる日になってそんなこと知らぬ妻が、いつも通り2重底の鍋(実はポッド)に通常通り水を入れ生卵を入れて、コンロ点火で茹でだした。上のポットは卵はほぼ水に浸かったまま、下の鍋が見事な空焚き、の次第。
分かってしまえば馬鹿な話でも、出費も大きいとなると必死。年入るとこんなことがそれこそ日常茶飯事で起きます。そのたびに夫婦で青息吐息。お粗末な一席。(14:41)
09/25 遅い秋
近くの公園の草っ原を所用で横切ると、多くの赤とんぼが目の高さで飛び交っていました。ほぼひと月遅れです。今年はトンボがいないと悲観していましたから、うれしいですね。猛暑で山から下りるのが遅れたのでしょうか。公園の端には萩の花が。小さくて紫色のきれいな花です。これも半月前に花が出たもののつぼみで枯れていました。猛暑のせいでしょうか。その枯れ花の枝を伸ばし、新しい花が咲いていました。遅れを取り戻さんばかりに多くの花が付いています。彼岸花は今や満開。遅い秋、爛漫です。
宮津徳也 https://www.mctv.ne.jp/~kawai/