きょうは:

爺の覚え書き



05/06 ベゴニア

先月25日に買ったベゴニアをやっと植え替えた。去年は買えず2年ぶり。散歩の道端に見つけたベゴニアが、冬にすっかり枯れていた。それが最近新芽を出し葉が大きくなっているのを見つけた。こんなこともあるんだと生命力に驚いている。花の終わりに捨てず、育てる手もありそう。今年は挑戦してみるか・・。


05/05 暑さ対策を

子供の日はいい天気になりました。近くの川の両岸にかけて、多くの鯉のぼりが青空に泳いでいます。世界中の子供たちが悲しみから逃れ、幸せになるように願わずにはいられません。年入ると小さな子供を見ると笑みが浮かびます。眼が合ったりすると笑みも倍増。この子たちが自由に生きられる時代を祈ります。

さて、昨日は昼過ぎに急に気温が上がり、買物に行くころには夏日(25℃以上)でヘロヘロ、行き帰りとも休憩あり。家に着いて冷たい麦茶1杯飲むと落ち着いた。いつの間にか強くなった太陽に当たって、20分ほど歩いたのが悪かったようだ。ちょっとした油断が体調の不振を招きます。調子悪いと気づいたら、

  1. まず水分補給、猛暑日などは塩分も
  2. 空調などで室温を下げる
  3. 熱のこもらない服装
  4. ビタミンやミネラルを意識した食事
  5. 冷たいタオルで首筋などを冷やす
  6. 無理をしないで休憩する

AIで検索して整理しました。調子悪いな、と思ったら気力を振り縛って、即実行。


05/04 動くことの意味

早いものでGWも後半、天候もまずまず。大いに英気を養ってください。

骨は力を与えないと弱る、と聞いて、かかと落しをやっています。強すぎて痛みが出るようでは困ると思い、かかとへのショック程度も軽く10回、一日に3回程度でやってみました。さて骨への影響は分かりませんが、足の裏の変化はてき面でした。ここ2・3年足の裏に違和感があり、何かくっつけて歩いているような、ゴムの上を歩いているような感覚でした。加齢現象で仕方ないと諦めていました。それが無くなってきたのです。

すると歩く時の違和感がなくなり、硬かった足首も軽く、以前の歩く感覚が戻ってきました。重く引きずったような足取りもなくなりました。そこでハタと気がついたのです。老年医学記事などで、長いこと座ることの害を強調していることの意味です。貝原益軒の『養生訓』や最近のウエブ記事でも頻繁にみられます。元気でいたいならとにかく「動け動け」です。極端なことを言えば「立つだけ」でもいい(足裏に体重をかける)、とばかりです。結局は足を動かし、体の最先端の足裏に圧をかけろという事でしょう。つまり全身の血行を良くすることです。足の先まで酸素を運び、老廃物を廃棄する生理現象の促進ですね。原始時代から食べ物を求めて終日走り回っていた時は、糖尿病などなかったのですから。

糖尿病や高血圧など生活習慣病の予防に散歩が良いと聞き、ただ無闇(むやみ)無心にやっていました。ここで健康のためのいいヒントを得ました。


05/01 フリンジツリーという木

全国的にも珍しい木だそうです。初夏のような陽気、真っ白な花が夏らしいですね。足を延ばすとこんなことも。


04/30 細胞の中身

毎日がGWの爺はいつもの毎日です。でもGWには、NHKが力の入った特別番組を放映してくれます。NHKテレビの科学番組『人体Ⅲ』(#人体Ⅲ*)、見られた人も多いと思いますが、今回も驚きでしたね。ノーベル賞の山中伸弥教授とタモリを中心に、最先端の医科学の知識を解説してくれます。同じ異色コンビで、2017年に放映された人体シリーズ1回目のとき、脳が神経を通じて臓器など全身を制御している、との常識をひっくり返し、筋肉や脂肪ですら全身のすべてが脳へのフィードバックを通じて生命は維持されている、というものでした。天地動転の驚きでした。2回目は驚愕のDNAでした。今回は生命の根源の細胞を取り上げ、全身のネットワークの具体像でした。我々素人には、細胞の中身はDNAを収めた核と若干の部品がある以外は何もないと思っていました。それが技術の発達で、たんぱく質の小さな部品でびっしり埋まっていることが、目で見て分かったのです。しかも物でありながら生命体のように動くことができるのです。番組が終わってもしばらく茫然です。

親から子に伝えられたDNAの遺伝情報によって人体(40兆個ほどの細胞でできているとか)が作られていきます。これらが縦横に連携することで生命が営まれます。今まで空想だったその営みが具体的に分かってきたのです。生命とはたんぱく質という物質の構成体であり、それが一時的に命の活動をすることです。まさに釈迦のいう「命とは現象だ」なのです。画期的なことです。人類の知的レベルは大変なところに来たようです。

その命の炎がなぜ消えるのか、それが次回のテーマのようです。老化の問題も必然的に含みますね。老境にあるタモリと爺の関心も高く、いつの事か、当てもなく期待です。

* 本文中の「#+語」はこの語で検索できることを示しています。


04/27 珈琲サーバー

珈琲サーバー(珈琲ポッド)の取っ手がポコッと折れた。強化耐熱ガラス製になってから割れる事故?がなくなって長持ちしていたが、意外な部分が壊れた。やはりサーバーがないと不便で、代わりが急須では見てくれも悪い。歩くのはつらいがとうとう辛抱しかねて町中まで買いに出かけた。目盛りのデザインが変わっていたが同等品が買えた。取っ手の改良の有無は分からない。毎日使うものだから買い揃えてやれやれ。最後のサーバーになるか、爺とどちらが長持ちするか (^o^)

冬の間寒くて閉じこもっていたけど、気温が上がって外出が増えたせいか体調はすこぶる良い。やはり体を動かすことが人間の本来の生きざま。買ってきたままのベゴニアの苗が生き生きして、植え替えを催促している。道端の雑草もグングン伸びて爽やか。


04/25 ベゴニア

ベゴニアの花を植えたいのだが、苗を最近あまり見なくなった。そんな折りもおり珍しく織り込みチラシが入った。その量販店は直線なら2kmほどなのだが、わが家はノーカーだから本数の少ないバスで行くしかなく億劫である。以前は自転車でも行けたのだが、最近はふらつくので自粛している。直通のバスは一日一本、帰りは別のバス停を探すしかない。ま、スマホで発着時刻とともに一発だからどうということはないが、そのバス停まで歩くのがしんどい。

ついでに隣接の大型書店に寄って、欲しかったパソコン関係の本も買った。スマホで乗り継ぎのバス停を見つけ、それほど苦労もなく探し当てて20分ほどで着いた。バスは下校の高校生で混んでいたが、10分ほどで鉄道の駅だからそれまでと覚悟。案の定みんな駅で降りていって貸し切り状態、ここまで心配したほど疲れもなく、やれやれ。帰宅して歩数計を見たら4千歩。特に多くはない。

これだけの事ながら、バスでこの量販店に行ったのは初めてのこと。実は体力的に行けるか行く気になるか、と自信なく迷っていた。そのため去年の春は行き損ねた。だから自信がなくてもやればできる、と子供のように喜んでいる、トホ。ベゴニアは花もきれいだが、丸い葉っぱの鮮やかな緑色が魅力的で、それで植えている。


04/23 労働力は要らない

経済学者の森永卓郎氏が亡くなった。がんのため余命を宣告されたことを2023年12月に告白されていて、この間(かん)に国民に対する遺言の如く多くの本を執筆された。その中から『この国でそれでも生きていく人たちへ』(講談社2025年¥990.)を買ってきた。平易な文章で、読みかけたら引き込まれた。ある一節で笑いが止まらくなった(失礼)。

自分の周囲の若者たちを見ていて、日本の少子化は歯止めが掛るのだろうか、と不安に思っていた。日本だけでなく世界的な傾向はなぜだ、です。これに対して明快に断言です。少し引用すると『実はマルクスは少子化の理由について「資本家は労働者が翌日、再び会社に来られるだけの再生産を行うための賃金は払うが、労働者が結婚して子育てができるレベルの賃金は支払わないからだ」としている』、の一節である。この文が面白い訳でない。爺の若いときを思出し、そうだったと一瞬で合点がいったからである。ここに言う「再生産」とは労働力のことで、当時この新鮮な言葉に驚いたものである。労働者は労働力を商品として資本家に売り、それによって賃金を得て生きる以外に道はない、というのがマルクスの論理である。労働力を商品と見た視点に仰天したものである。マルクスのイロハのイを忘れてしまっている自分を笑った、あー歳だぁ。

資本主義は常に広範に修正しながらでなければ自滅する、何故なら制度そのものが人間の欲に基づいているから。事実今や世界の富は4人の資本家に牛耳られていて、共産主義を標榜する国でさえ資本主義化して危機的な状況。物を生産する領土と資源の仁義なき奪い合いである。いまやデジタル自動化の時代で労働者は要らない。このままでは世界は崩壊する局面。「それでも生きていくか」の問いである。答えは一発、思考停止して笑うしかない。森永さん勇気をありがとう、冥福を祈ります。


04/22 手首が細い

買い物帰りの公園で、一羽の燕(つばめ)の飛来を見ました。スイスイと反転して見惚れます。餌が豊富にあって、子宝に恵まれて、秋には無事に南へ戻れるといいですね。自然環境が厳しい昨今、祈るような気持ちです。

70代半ばごろから手首が細くなったのが気になります。反対の手の親指と中指の輪っかに余裕で治まります。悪代官につかまれた町娘の手首の如くです。以前はやっと親指と中指が接する感じで、グッと太さがありました。手首が細くなる一方で、むくみで足首は太くなり、気にしています。体重に変化なく、かっての手首の太さはどこへいったのでしょう。骨が細くなったのか、筋肉が無くなったのか。いや足首まで下がった、のかも。「元に戻してくれ!」

睡眠が今年になってからどうも不調で、必ず何度か目覚めます。寝入り端の一時間半から二時間後に起きる、そうレム睡眠のリズムで目覚めます。レム睡眠は眼球が頻繁に動くそうで、夢を見るときとか。寝入ってしばらくはノンレム睡眠で深く寝て、レム睡眠に移ります。体は寝ていても脳は働いていて、記憶の整理や内臓の働きを調整しているとか。寝ていても働く働き者ながら「寝させてくれ!」。

年入るとどうも思うようにいきません。でも自然の力が相手では受け入れて対応するしかありません。それが知恵ですね。夜中に起きると電気を点けて深夜放送を聴くか、テレビを観るか、本を読むか、爺のブログを更新するか、忙しい忙しい。

(04:39) つばめが来れば招かざる客も。早々に「思いっきり痒い痒い」のにやられました。明け方に刺すんですよ、憎さ百倍、さらし首です。つばめも蚊も同じ生き物なのにね。


04/20 夏日でつつじが

25℃以上の夏日の到来で暑い暑い。公園でつつじが咲きだしました。


04/19 棕櫚竹の植え替え

列島に準じて当地も25℃を超え夏日になりました。冷え性の爺もやっと、シャツは半袖に、上も薄いブレザーに変えました。季節は一気に夏に。雨が降らず川が干上がり、鯉が背びれを出して泳いでいます。

植木鉢の棕櫚竹(しゅろちく)の植え替えを迫られていて、とうとう重い腰を上げ赤玉土を買いに行ってきました。コロナ以前から土は代えていませんから、かなり目詰まりしていて、植え替えは必至。ご多聞に洩れず値上がりしています。値上がりも痛いですが、ノーカー(no car)の我が家にとって、土は値段より運ぶ手段が難点。買い物カートで1km 弱の植木屋まで買い出しです。妻が見かねてカートを押してくれました。赤玉5kg2袋と肥料10kgで積載量限界。帰り道は緩やかな登り、妻が最後まで押してくれました。感謝です。

植え替えの鉢はとりあえず3鉢です。棕櫚竹を鉢から抜いて、鉢形に沿って根を土ごと 切り落とします。根回りが元の三分の二ほどになった棕櫚竹を、きれいに洗った鉢に戻し、棕櫚竹と鉢の隙間に赤玉土を入れます。しっかり突いて、たっぷり水をやります。一日日陰に置いて、あくる日もたっぷり水をやります。一週間ほど丁寧に水やりをすればOKです。鉢の縁に一か所手のひらほどの油粕を入れてやります。これで一年は大丈夫。年中葉の緑が絶えず、和の雰囲気が楽しめます。

これだけの事ながら先伸ばしして、季節的に後はない、今日は天気もよし、必ずやりますよ、えーっ。

(04/20 19:47) 他の用事があって植え替えにかかったのは16時過ぎ。今日は2鉢を植え替え、1鉢はまた明日になりました。これでも上出来、体を動かして身が軽くなった感じです。TVニュースで北海道松前城のソメイヨシノの開花宣言、桜の列島縦断完了です。

(04/21 17:20) 棕櫚竹の植え替え、やっと3鉢完了。やれやれ、です。これで今年一年は大丈夫です。


04/17 筋肉が不足

今日は全国的には夏日(最高気温が25℃以上の日)の地域が出るなど暖かい日でした。でもあまりその実感がありません。下着も含め服装は冬と変わらず、コートを着なくなっただけ。夜も掛布団は1枚になりましたが、足が冷えるのであんかを使っています。それでも一日中薄ら寒く、不思議に思っていました。テレビを観ていたら同じような悩みを取り上げていて、原因は運動不足による冷え性との事です。運動不足による筋肉量の減衰で、老人医療でサルコペニアと呼ばれる体の状態になっているようです。番組では体重と寿命の関係、骨密度の問題などもっと広く健康問題として取り上げていましたが。

「1日1,500歩以下で2週間生活するだけで、(平均して)脚からステーキ2枚分(約400g)もの筋肉が失われたという」実証研究が引用されています。筋肉は水分や糖分の調整のための貯蔵庫でもあり、腎臓や糖尿病などの予防に不可欠です。体温の調整にも役立っています。自然は春を迎えているのに、体は依然として冬のままというのは、運動不足の結果のようです。サルコペニアから抜け出すには結局運動するしかないようです。番組では、スクワット、腕立て伏せ、上体起こしを勧めていました。一日5分でもひと月続けると結果が出るそうです。筋力が付けば体質改善ほか老人病の予防や、転倒も防げ、免疫力も付きます。今までと違う、何かおかしいな、というのは警告ですね、運動不足に注意です。


04/16 タンポポ

桜の花びらの上にタンポポの花が。でも残念ながら見事な外来の西洋タンポポです。日本の在来種は葉のギザギザが丸く厚くて、色も黄色に軽く橙色を含んで、全体に柔らかい印象でした。在来種は外来種に駆逐されて、完全に見かけなくなりました。菜の花も川べりにたくさん咲いていますが、これも外来種だそうですね。子供の頃は菜種の花と言っていました。食用のほか灯油として使った歴史は長いですね。それにヨモギ。これも外来種になりました。在来種はもっと葉がふくよかで柔らかい感じでした。手で揉むと濃い緑色の汁が溢れました。饅頭(まんじゅう)や餅に混ぜて、彩り(いろどり)よく香りもよくおいしく食べました。さらに土筆(つくし)を加え、日本人の代表的な季節の野草です。土筆も子供の時摘んだものとは違います。

日本人の生活に馴染(なじみ)の春の野草がすべて外来種とは。人や物の国際的な交流が盛んになると避けられない事態ですね。鎖国時代に戻ることはできませんが、経済的な理由で野放図に開放が進み過ぎると弊害も避けられません。日本固有の良さは努力して守っていきたいものです。和種のタンポポのように一度失えば取り返せないのですから。



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