荻野吟子顕彰碑

瀬棚の町の南の外れ、旧国鉄瀬棚駅跡地の荻野吟子小公園内にある碑が荻野吟子顕彰碑だ。荻野吟子女史は1851年、武蔵国幡羅群俵瀬村の庄屋の五女として生まれ、18歳で名主稲村貫一郎と結婚するが体調を崩すと共に性病を患って2年後に実家に帰され離婚となる。性病治療の為に順天堂病院に入院するが、この頃、我国の医学界では女医の制度がなく、彼女の治療に当ったのも男性の医師であり、女性にとっては何ものにも耐え難い羞恥と屈辱が同性の人々に自分と同じ思いをさせてはならないと、医師になることを強く決意させた。彼女は上京して井上塾に入門。東京女子師範学校、私立医学校「好寿院」と優秀な成績で卒業する。学問は個人の努力でどうにでもなるが、女医を認めないという制度や習慣の壁が彼女の前に大きく立ちはだかり、再三にわたり医師の開業試験の願書を提出したものの、女性なるがゆえすべて却下されてしまう。彼女は持ち前の根性で制度改正に奔走、多くの師友の協力によりようやく受験の運びとなり、1885年に第1回医術開業試験に女性として初めて合格し日本公許登録女医第1号の偉業を見事に達成する。再婚後、理想郷建設をめざす夫とともに北海道今金町に渡り、後に瀬棚町に移り1897年にここ瀬棚町に荻野医院を開業し、11年にわたって地域医療に貢献した。彼女の偉大さは、当時は女人禁制とされていた医学校に入学を認めさせると共に、開業試験への堅い拒否の扉を開かせ、日本医学界に女性進出の道を切り拓いた先駆者としての功績にある。この功績を称え、1967年に北海道開道100年を記念して荻野吟子顕彰碑が開業地跡に建立された。その後2000年には旧国鉄瀬棚駅跡地に整備した荻野吟子小公園内に顕彰碑を移設している。この荻野吟子小公園は公営温泉浴場やすらぎ館の広い駐車場の片隅にある公園で、大きな荻野吟子顕彰碑がひときわ目立っている。すぐそばには東屋もあるが、あいにく水場やトイレはない。目の前に交番があるので治安はいいだろう。

荻野吟子顕彰碑データ
展望 :★☆☆☆☆
資料性:★☆☆☆☆
観光客:★☆☆☆☆
お勧め:★☆☆☆☆
期間:通年
お勧め:昼間
費用:無料
施設:温泉施設あり
電話:-
郵便:049-4814
住所:久遠郡せたな町瀬棚区本町9区
北緯:42.4483
____:42°26'53"92
東経:139.8518
____:139°51'06"36
マップコード:809402469*56
MGコード:-
マップル地図:7D-4
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