土方歳三最期の地碑

函館の街中、函館市総合福祉センターの敷地内にある若松緑地公園内に土方歳三最期の地碑がある。1835年に武蔵国で生まれた土方歳三は若い頃から剣技を極め、1863年に発足した新撰組では28歳の若さで副長の地位に就く。1867年の大政奉還により始まった戊辰戦争では幕府側について戦うが、次第に戦況は悪化し蝦夷に追い込まれる。1868年、蝦夷に上陸した榎本武揚始めとする幕府軍残党は箱館、松前、江差と占領したが、1869年4月に新政府軍が乙部に逆上陸すると次第に追い詰められ五稜郭に入る。5月11日に新政府軍の箱館総攻撃が始まると、孤立した弁天台場の奪回と仲間たちの救出を目指し、土方歳三は50人の部下を引き連れて出陣した。一本木関門にて新政府軍に応戦、馬上で指揮をとって戦ったが、その乱戦の中、銃弾に腹部を貫かれて落馬し側近が駆けつけた時には絶命していたとされる。その一本木関門のあった場所がこの若松町だったとされ、1958年に若松小学校の敷地内に土方歳三最期の地碑が建てられた。しかし1970年には今の若松緑地公園向かいの道路の中央分離帯に移設され、1992年に現在の若松緑地公園に移設された。若松緑地公園内の一角に庭園のような場所があり、その片隅に土方歳三最期の地碑と一本木関門があり、花が手向けられている。毎年5月11日前後の土日に箱館五稜郭祭があり中島三郎助親子の地碑や碧血碑と合わせて慰霊祭が行われ、五稜郭公園では土方歳三コンテストがあり、京都新選組の衣装でパレードにも参加できる。

土方歳三最期の地碑データ
展望 :★☆☆☆☆
資料性:-
観光客:★☆☆☆☆
お勧め:★☆☆☆☆
期間:通年
お勧め:昼間
費用:無料
施設:石碑と関門のレプリカ
電話:-
郵便:040-0063
住所:函館市若松町33-6
北緯:41.7769
____:41°46'36"96
東経:140.7311
____:140°43'51"90
マップコード:86073814*47
MGコード:100-2490
マップル地図:3G-4
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