榎本武揚・土方歳三上陸の地

森の町から3kmほど北西、桂川の河口付近にあるのが榎本武揚・土方歳三上陸の地だ。1867年に大政奉還が行われ264年続いた江戸幕府による統治権が返上された。しかし翌1868年、政権掌握を狙う旧幕府勢力と、幕府廃止と新体制樹立を狙う新政府軍の間で戊辰戦争が始まる。当初兵力の点では旧幕府軍の方が上回っていたが、新政府軍の薩摩藩、長州藩は正式に官軍となり旧幕府軍は賊軍となったこと、そして旧幕府軍の総大将徳川慶喜が味方を捨てて立てこもっていた大阪城を脱出し開陽丸で江戸城に逃げた事が敵味方から敵前逃亡と見なされ旧幕府軍は戦意を喪失。江戸城は無血開城する。会津藩及び庄内藩を中心とする旧幕府方残党勢力は東北に逃げ、新政府軍と半年ほど戦いを続けていたが、会津藩も庄内藩も相次いで降伏。榎本武揚率いる旧幕府海軍は松島で新撰組の土方歳三始め2500名を収容し、7隻の艦隊でこの森町鷲ノ木地区に上陸した。その後榎本武揚や土方歳三は五稜郭を占領し、松前、江差まで勝ち進み蝦夷共和国を樹立したが、翌1869年に新政府軍が乙部に上陸し旧幕府軍残党を追撃。箱館戦争で土方歳三は戦死、榎本武揚は降伏し戊辰戦争は終結した。この森町鷲ノ木地区は戊辰戦争において榎本武揚・土方歳三が1868年10月20日に北海道に最初に上陸した場所であり、その後この地は榎本軍の負傷者や病人を療養する後方陣地となった。それを記念して桂川の河口に榎本武揚・土方歳三上陸の地碑が建てられた。また線路を挟んだ反対側には鷲ノ木史跡公園があり、ここには箱館戦争鷲ノ木戦没者之碑がある。いずれも内浦湾に面した場所にあり、駒ヶ岳はもちろんの事、視界が良ければ有珠山や羊蹄山まで見渡す事ができる。

榎本武揚・土方歳三上陸の地データ
展望 :★★★☆☆
資料性:★★☆☆☆
観光客:★☆☆☆☆
お勧め:★★☆☆☆
期間:通年
お勧め:昼間
費用:無料
施設:何もなし
電話:-
郵便:-
住所:茅部郡森町
北緯:42.1189
____:42°07'07"87
東経:140.5387
____:140°32'19"29
マップコード:490695842*21
MGコード:-
マップル地図:-
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