根室市歴史と自然の資料館

花咲ガニや根室車岩で有名な花咲港の丘を挟んだ東側に花咲港小学校がある。この花咲港小学校の敷地内の片隅にある建物が根室市歴史と自然の資料館だ。この資料館は根室市とその周辺地域の歴史、自然等に関する資料を収集・保存・展示する事を目的に1990年に根室市郷土資料保存センターとして開館した。レンガ造りの建物は大湊海軍通信隊根室分遣所として1942年に建設された。戦後は花巻港小学校として利用されたが1990年に花巻港小学校の校舎が新築されたのに伴い建物は根室市郷土資料保存センターとして開館し、2004年には根室市博物館開設準備室と合併して根室市歴史と自然の資料館となった。内部には根室や周辺地域の歴史や自然資料の展示が所狭しとあり、動物の剥製も豊富だ。他にも樺太北緯50度線上に置かれ日本とロシアの国境を明示していた国境標石や根室半島チャシ跡群のジオラマ、根室空襲に使われた爆弾やロケット弾のレプリカなどが展示されている。展示物は3万点ととても多いが展示スペースが限られているため多くの展示物は展示されないまま倉庫に保管されているほどだ。最も豊富なのはペリー来航の61年前に根室に来航して通商交渉しようとしたラクスマンの資料が数多く展示されている。1783年に伊勢から江戸に向かって17人の船員を乗せて出航した神昌丸が嵐に遭遇し7ヶ月間漂流の末、アリューシャン列島のアムチトカ島に漂着。船頭の大黒屋光太夫はここで4年間過ごした後、ロシア人と協力して船を作りカムチャッカに脱出。その後光太夫はイルクーツクに送られ日本語教師になるよう要請されたが帰国を希望。それを知ったラクスマンは光太夫と共にペテルブルクに行きカテリーナU世女帝に謁見し帰国が許された。1792年にラクスマンや光太夫を乗せたエカテリーナ号は根室に到着。ラクスマンは根室にいた幕府役人に江戸に出向いて光太夫を引き渡すと共に通商交渉を行う旨の親書を渡すが幕府はそれを拒否。交渉は松前で行われることとなったが冬が迫っていたためロシア人船員の越冬のために宿舎を建設する。ラクスマンは松前に出港するまでの8ヶ月間に渡って根室に滞在し、その間日本はロシアの持つ世界地図を書き写しロシアは日本地図を書き写した。さらに日本で初めてのロシア語辞典を作った。1793年6月にラクスマンは松前に行き幕府役人と通商交渉を行うが、長崎以外では幕府は親書を受け取ること

根室市歴史と自然の資料館データ
展望 :-
資料性:★★★☆☆
観光客:★★☆☆☆
お勧め:★★☆☆☆
期間:通年
休日:月曜日、祝祭日 年末年始
時間:9:30~16:30
費用:無料
施設:資料館
電話:0153-25-3661
郵便:087-0032
住所:根室市花咲港209
北緯:43.2887
____:43°17'19"44
東経:145.5902
____:145°35'24"90
マップコード:423431309*73
MGコード:-
マップル地図:30B-3
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