間宮林蔵渡樺出港の地碑

宗谷岬から稚内方向、西に3kmほど国道238号線を走ると海岸沿いに小さなパーキングがある。このパーキングの海沿いに立つ石碑が間宮林蔵渡樺出航の地碑だ。1780年、茨城県に生まれた間宮林蔵は才能を認められて下役人となり、1799年には函館で出会った伊能忠敬から測量技術を学び、1803年から蝦夷と南千島の測量を行う。ロシアの南下政策に驚いた幕府は1808年に間宮林蔵と松田伝十郎を樺太の調査に向かわせた。流氷は去ったものの、なお酷しい寒気と荒波の宗谷海峡をのりこえて人情、風俗の異なる樺太に渡り東海岸を調べた。この年、林蔵は再び樺太に渡りトンナイで越冬、翌1809年春、西海岸を北上し樺太北端のナニオーまで踏査して樺太は大陸と海峡をへだてた島であることを確認した。夏には大陸交易に赴くギリヤーク人に同行しアムール下流の満州仮府デレンを訪れ、この地方の情勢を調査し、「東韃(とうだつきこう)」として報告された。樺太の調査は14年間続き、彼の功績は伊能忠敬が作った日本地図に樺太が書き加えられ、それを見たシーボルトはこの海峡を間宮海峡として世界地図に書かれるようになった。この石碑は間宮林蔵が初めて樺太に向かった時、蝦夷地から出航した場所を示した石碑である。彼は樺太の調査にあたり、郷里から持ってきた墓石を海岸に建て探検への覚悟のほどを示したとされる。ただ小さなパーキングがあるだけで標識も何もないので、知っていなければ間違いなく通り過ぎてしまう事だろう。200年以上前に間宮林蔵が幕府に命じられ墓石まで立てて樺太に渡ったこの地で、樺太を見ながら彼の気持ちを感じ取るのもいいだろう。

間宮林蔵渡樺出港の地碑データ
展望 :★★☆☆☆
資料性:★☆☆☆☆
観光客:★☆☆☆☆
お勧め:★★☆☆☆
期間:通年
お勧め:昼間
費用:無料
施設:パーキングあり
電話:-
郵便:098-6754
住所:稚内市宗谷村清浜
北緯:45.5149
____:45°30'53"49
東経:141.9038
____:141°54'13"57
マップコード:998033477*40
MGコード:-
マップル地図:58F-1
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