鐘楼堂と梵鐘

蛸路の天命安弾(てんめいあんだん)の作

鐘楼堂は、享保 7年(1722年) 住職甚隆和尚(じんりゅうおしょう)の時建立されました 。この鐘楼堂にある梵鐘は、有名な蛸路の天命安弾(てんめいあんだん)の作。
  
太平洋戦争のはじまる直前の昭和16年(1941年) 8月、武器生産等に必要な金属資源の不足を補うため 「金属類回収令」が公布され、この梵鐘も例外ではなく強制供出の対象になりました。幸い戻ったがその歴史を物語る刻印が残っています。

平成の大修理・開祖1200年事業

平成21年から平成23年まで、開祖1200年を前に「平成の大修理・開祖1200年事業」と銘打って、行われた大改修。鐘楼堂の腰板と床下もこのほど修理されました

  常夜灯

街道を行き交う人々を照らした常夜灯

古くから奈良県と三重県を結び、物資の輸送と伊勢参りや熊野詣、吉野詣の道として、多くの人や牛馬が往来しました。江戸時代には紀州藩の参勤交代路でもあり、今も国道 166号線として多くの通行があります。
 
天保 9年の作の常夜灯は、梵鐘と同じく人々の生活に密着し、昔は毎晩欠かさずに火を燈し、和歌山街道を通る人達のため、街路燈の役割を果たしてきました。
背丈は 3mを超えいずれも岩盤の上という、不安定な形状ですが、絶妙のバランスで姿勢を保ちながら風雪に耐え、人々の往来を見守ってきました。
 
現在は大石橋の袂から移設され、今も国道166号の往来を見守っています。