そもそもの始まり・・・・

こんな旅行をしてみたいと思ったのは僕が大学生だった頃である。
所属していたクラブが探検部ということもあり海外を見てまわる事には前々から興味はあった。
じゃあ、何をしに何処に行きたかったのか・・・・・?

僕は歴史が好きだった。
”日本人の祖先はいったい何処からきたのだろう
いつか、そのルートを自らの足でたどれたらいいな・・”
と、思い描いていた・・・・


僕がまだ大学の一回生だった頃、奈良を旅したことがあった。
汗をかきながら真夏の奈良の町を歩き回り、国立博物館に立ち寄った時のことだった。
そこには日本と別の世界が広がっていた。
バリの踊りに使われているような奇怪な面がいくつも飾られていた。
   「まだ日本という国を天皇という人物が統治していた時代、
   僕らは確実にアジアの一員だったんだ
   この東のはずれの辺鄙な国にも文化は流入してたんだなー・・」
なんて事を考えながら、
外の暑さとは違いクーラーの効いた博物館の中で
ぼんやりつったていたのを覚えている。

それから、しばらくして司馬遼太郎の「街道を行く 沖縄」を読んだ。
それによると、かつて沖縄の島々に住む漁師たちは海に出るとき一袋の籾を船に放り込んで
漁に出たそうだ。
これは、台風などのアクシデントにみまわれて無人島に漂着したとしても
稲を育て生き延びることが出来るように行った習慣であるそうだ。
これが、日本に米が伝来した一つのルートと考えられている。
さらに、沖縄に住む人々のの特徴と
薩摩や土佐、紀伊半島南部にすむ人々の特徴(背が小さいとか毛が濃いとか)が、
非常に酷似しているとも書かれていた。
これは、南の島々に住む人々が黒潮海流にのって漂着し、住み着いたのが
太平洋側に突き出たこれらの地域だからなのだそうだ。

単純な僕はそこでこう思った。
日本人のご先祖様がやって来たといわれるルートは数あれど、
紀伊半島の太平洋を望む海沿いの町に住む僕としては南のルートを取ろう・・・
沖縄から海を渡りさらに南へと進路をとれば、
日本に米を伝えた人や、
あの奇天烈なお面をかぶって踊っている人たちに
出会えるんじゃないか・・・?
それに、金もかからず暖かい国を
きれいな海を眺めながらまわれるんじゃないか・・・

ほんとに単なる思いつきの旅。
しかし、なんとも心惹かれる思いつきだった。

1998年、ほんのしばらく勤めていた大阪の会社をやめたのが契機にその旅は現実のものとなった。
その頃、正直ちょっと疲れていた。
で、1999年三重に帰ってきて半年間契約社員として工場で働き旅行の資金をためた。

さあ、出かけよう。
もう何も難しい事なんか考えずに、
好奇心だけもって旅に出てみよう。
21世紀なんていう大それた世紀が来る前に
僕のこれまで生きてきた時間の一区切りとして、
そして何より、僕の中にあるもやもやしたものから
自分を開放させる為に、
ちょっと息抜きをもらって旅に出てみよう。
何が待っているかわからない、
そんな旅をしてみたいもんだ・・・。



と、まあそんな感じで始まったのが
この台湾〜インド旅行です。
旅行中はこんなこと考えもしませんでしたけど。