4月28日(水曜)

 「まさか、こんな事になるとは思ってもいませんでした...」
 この言葉が僕の頭をこだまする。
 「まさか、12万人もの民間人が死んでしまうとは思っても見なかった...。戦争はすぐ
に終わるものだと思っていた。日本軍が勝利して...」
 今日は1日レンタカーを借り本島南部にある、ひめゆりの塔、球泉洞、国立博物館など
を観光した。上に書いた言葉はひめゆりの塔にいた語り部の人の言葉である。当時17歳
だった彼女は、1945年の初頭のある日、突然看護兵として徴兵されたのだという。ラ
ジオからは日本軍が破竹の勢いで勝利し続けるニュースが流れている。この召集は、一時
的な訓練のようなものだと彼女達は思っていたそうだ。夕方になれば家に帰る事ができる
ものだと気軽に考えていた。その証拠に、彼女達はなんの準備も無しにこの呼び掛けに集
まってきていたのだ。しかし、彼女達が再び家路につく事はなかった。再び家族と再会す
る事はなかった。敵はもうすぐそこまで迫ってきていたのだ。何も知らされる事なく彼女
達は地獄へと連れていかれ、その幼い命を散らしていったのだ。

 「まさか、こんな事になるとは.....」

 はっとする言葉である。まさかこんなことになるとは...。僕らは今平和な時代に生きて
いる。背筋が寒くなる言葉である。今、僕らが生きている世界が突然否定されたらどうな
るのだろう...。予測不可能。安全だと思っていた場所から突如争いのさなかに放り込まれ
る。 沖縄の人たちが今の日米ガイドラインに対して感じる恐怖は、経験した者のみが抱く
事の可能な感覚なのだろうか。戦時中の沖縄人でさえ予測出来なかった悲劇。僕らは何か
間違っているんじゃないか?もちろん、一点だけを見て物事を判断する愚かさはわかって
いるつもりだ。物事には流れというものがある。いくつもの要素がからみあっている事は
知っているつもりだ。しかし、予測するという事と想像するという事には、大きな違いが
あるのではないか?北朝鮮がミサイルを飛ばしたという事実。それにより、日本が攻撃さ
れるという可能性の予測。しかし、想像は出来ない。体験した事のない事を、人はリアル
にイメージできない。日本人の中で、唯一他国の人々によって支配され今もその影響下に
おかれている国、沖縄....。僕は、急に不安になった。あまりに無防備で無関心だった自
分に対し..。
  ------------------------------------2000/1/4 現在の感想---------------------
   東南アジアを旅してあまりに多くの国が未だに日本に対し憎しみの感情を捨てきれずに
いることに驚きを覚えた。ある意味そういった感情がまだ残っているのだなという事を、
確認したと言うべきか。一つ思う事がある。日本民族(という言葉があったであろう
か...?)は、他の民族を心の底から憎むという歴史というものをはたして持っているだ
ろうか?DNA(これは、教育と言う名で置き換えられる)に刷り込まれてしまう程の強烈な
歴史を...。先の大戦では連合国軍(アメリカ)に僕らは負けた。しかし、アメリカを心か
ら憎む「日本人」は存在するのだろうか?一部の思想団体を入れたとしても感情的にその
事を叫ぶ人間は1%にも満たないと思う(僕の想像だけど..)。なぜだろう...?太平洋戦
争以前の歴史を考えてみるとそこには日本による他国への侵略の歴史があるのみで、他国
によって支配された事はない。これだけ、長い歴史を持った国の中では極めて稀な国だと
思う。目の前で、異国の人々に親や兄弟を殺されたり、恋人や姉妹を犯されるといった歴
史がないのだと思う。(空襲もあったが、B-29は竹やりでは落とせない。飛行機に殺され
るのと、同じ数の人間をナイフで殺されるのとでは感じ方は違うと思う)およそ、他国人
を恨むと言う感情を持ち合わせていない希有な民族。それが、日本人だと思う。人は経験
していない事は、リアルにイメージできない。いくら他のアジアの人々が日本を恨んでい
ようと、日本人は恨まれていると言う事をイメージできない。なぜなら、人を恨む歴史の
無い国だから..。侵略統治されるという痛みと恐怖を実際に味わった事のある日本人は沖
縄人だけだかもしれない。日本政府、否、大和人はそれを多く語らせないけど...。1億人
総懺悔なんてものを戦後やったらしいが、それは戦争責任の所在を曖昧にすると言う作用
の他に、対外的に見れば憎しみの対象を占領軍に向けさせるのではなく日本軍に向けさせ
るような影響も及ぼしたのではないか?本来なら、爆弾にしろ機銃にしろいくら軍事教育
されていたとはいえ親兄弟をアメリカ軍に殺されたのならもっと彼等を恨んでも良いはず
なのに...。日本人は、とかく理解されにくい。

   取り急ぎ書いた文章なので、ぜんぜんまとまっていないが他国人と接してみて違和感を
感じた事を沖縄をねたに書いてみた。思い出した事があれば、また次に書こうと思う。